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幻のレバノンスギを捜して(2018年7月5日)

◆ みなさん、コニャニャチワ。くくのっち(改)です。前回のコラムでは「これからはICUの歴史について書こう」なんて言ッてましたが、すでに2回目にして樹木の話にもどっちゃいます。ははは… いや、ホントは歴史について語りたいンですけどね。最近、あまりにインパクトの強い樹木ネタに遭遇しちゃったんで、どうしてもコレについて見ざる言わざる書かざるを得なかったのですね。それにこれは歴史の話でもあるんです。ハイ。

◆ で、そのインパクトネタってのが何かっていいますト、レバノンスギがICUのキャンパスに生えていたっていう話です。レバノンスギ? ハイ。レバノンの? ハイ。杉? ハイ(ホントは松だけど)。文字通りレバノンに自生している樹木です。えーと、覚えてますか? くくのっちが2016年7月8日のコラムで書いたヒマラヤスギってヤツを。今回お話しするレバノンスギはそのヒマラヤスギと兄弟といってもいい種類の木なんでござンす。この両者、はっきりいって素人には見分けがつきません。かなり植物に詳しい方がレバノンスギを見ても、おそらく(圧倒的にポピュラーな)ヒマラヤスギだと思われるのではないカナ、そのくらい似てるンです。えー、そんなソックリさんがそこいらじゅうに生えてるような木のいったい何が盛り上がり要素よ? と思われるでしょう? 

◆ ムフフ。知らざァ言って聞かせやしょう。えー抑(←「そもそも」です)、レバノンスギってのはマツ科ヒマラヤスギ属に入る4種の植物(ほかの3種はヒマラヤスギ・アトラススギ・キプロススギだよ)のひとつで、地中海東岸地域、即ちレバノン・シリア・トルコ南西部に分布している植物で、現在確認されているもので最大のものは推定樹齢2000年、樹高30m強、幹周り25mに達する巨木で知られているんですナ。で、地中海東岸と言やァ [ドン!] ICU生なら分かいでかっ。いやサ、こいつァ聖書の世界だなァ。なんて。まさにそのとおりで、この樹木は古代文明・神話・聖なる伝説、そんなイメージをまとった幻の木なんです。幻と呼んでイイのは、何もこれらのイメージがあるからだけじゃなくって、実際にレバノンスギの自生地は消滅しかかっているからなンですぞ。紀元前3000年前後のメソポタミアの叙事詩「ギルガメシュ」にもギルガメシュがレバノンスギの森を征服するストーリーがある。これに象徴されるようにレバノンスギの歴史は人類による乱伐の歴史で、木目の美しさ・幹のまっすぐさ・芳香がそろった最高の材木としてメソポタミア・エジプトの文明を支え続けたといわれているンだよね。今現在はどのような状況かというと、レバノン北部の高地にある世界遺産「ガディーシャ峡谷と神のスギの森」の中の直径わずか300mの範囲、砂漠のような荒野の中の島みたいに小さな森に残されている他には、レバノン国内には十数か所に生存しているだけ。こりゃ誰が見てもレッドランプ点滅中。

◆ レバノンスギの貴重さが分かっていただけました? OK。それで、原産地でもかなり前からこのような状況だから、日本には中々入ってこなかったのよ、このヒトは。その上ヒマラヤスギと瓜二つ(話は変わるが「瓜二つ」とは二つの瓜が似ているのではなく、一つの瓜を二つに割った切り口が似ているのです)ですからね、いやナニもそんなものを無理して遠路はるばる日本まで持ってくる必要も需要もない。インド経由で輸入されたヒマラヤスギが、各地の公園や公共施設にジャンジャン植えられるのに対し、レバノンスギはほとんど持ち込まれることがなかった。ほんじゃ何でもってそんなもンがICUのキャンパスにあったのか? よくぞ訊いてくれました。ラントロドゥクシォンはこのくらいにして、『幻のレバノンスギを捜して』本番、「アクション!」 カチン!


◆ きっかけはかつて大学が発行していた学内広報誌『ICU Gazette』第31-17号(1990年2月8日)に掲載のコラム「鳥のうた」に掲載された『レバノン杉の由来について』という文章だった。書いたのはもとICU教授(現名誉教授)の並木浩一先生。以下内容を要約すると、

と、いういきさつだった。

◆ もう、これは植物好きのくくのっちとしては確かめられずにはいられないでしょ。その足でロータリーに向かいましたよ。そんな木がロータリーに植わってたかなあ、なんて言いながら。ロータリーの中に入って、ツツジの植え込みを掻き分けて掻き分けて中心までたどり着いたけど、何も植わっちゃいない。ただ植え込みのない丸いスペースがあるだけ。そうだよね、1990年に植わってたものが30年近くたってたらそれなりの大きさになってるはず。このワタクシが気がついてないナンテ、そんなはずないじゃないですか。なーんだ。 …え、でも待てよ。ここにあったはずのものが跡形もなく無くなってるって事は誰かが引っこ抜いてどこかに持っていったってことだよね? それは誰? いつ? どこへ?  てなわけで、レバノンスギをめぐる冒険が始まりました。

◆ 探索を開始後しばらくして、1996年6月13日付けICU Gazetteの記事に行き当たった。anemosという名前のコラムでタイトルは「ICUと昆虫」。書いたのはもと理学科の生物学教授、加藤義臣先生(現名誉教授)。「旧ロータリーに植えられていた(現在は本館傍)レバノン杉の送り主は、元蚕糸試験場の横山忠雄氏である」 なんと! 本館傍に移植されていたのか。こんどは急ぎ本館へと向かう。(辺りを見回しながら)えーと、えーと、どれかなあ。あっ、まさかしてこの巨大な樹木がレバノンスギなのか!? と、思ったのはバカ山の本館に向かって左の山の左手前に位置するいかにも立派な大木。くくのっちが2016年に行ったキャンパス樹木マップの調査時にはヒマラヤスギって記述してるヤツだよ。うーん、そういえば確かにヒマラヤスギとは枝振りが違うようだ。よくあるヒマラヤスギは枝が若干無秩序に伸びて、先の方は垂れ下がっている上に葉の付き方もすこし粗雑というか… それに比べるとこの株は枝が棚状に伸びて枝先もさほど垂れていない。あと、葉の付き方も比較的密だ。うおおおお。そうだったのか。こんなに立派になっちゃって…

◆ ところで、レバノンスギがキャンパスのどこにあるか寄贈者の令嬢であるICUOG久世(横山)礼子さんはご存じなのだろうか。同窓会事務局を通じてコンタクトを試みた。しばらくして同窓会から返事があり、栃木にあるお家に連絡していただきたいとのこと、すぐに電話を入れた。礼子さんから聞く話は並木先生の書かれた内容と寸分違わぬもので、記憶違いや勘違いはほぼないと思われた。現在のレバノンスギに関しては、ご子息が東京神学大学に通われていた1992年前後、祖父のレバノンスギがロータリーに植わっていると聞いてICUを訪れたが無かった、管理部の職員に聞いたが、分からないと言われた、と。今回それらしき木が立派に残っていると聞き大変嬉しい。ついては近日中に東京に出る用があるので、その時お会いしましょう、と。さらにレバノンスギとは直接関係ないが、新たな情報もいただきました。蚕糸試験場は1911年から1980年までの約70年間高円寺(現在跡地は蚕糸の森公園)にあり、場長である横山さん一家もこの中の官舎に住んでいた。横山氏の後輩にあたる大村晴之助氏という人物とは家族ぐるみのつきあいをしていたというのだが、この大村家の子供たちの中に李枝子・百合子姉妹がいた。そう、この名前だけでピンときたあなた、鋭いです。この2人こそ1963年に『ぐりとぐら』を世に送り出すことになった中川李枝子・山脇(大村)百合子の姉妹絵本作家です。年齢の近い礼子さんはよく彼女らと遊んでいたとのこと。これはトリビア。それで、10年ほど前、李枝子さんから礼子さんに「おじさまの持ち帰ったレバノンスギが某所で立派に育っている」(正確な詳細は不明)といった内容の新聞記事が送られてきたことがあるという。

◆ 横山氏が持ち帰った苗木3本のうち、1本は確認できているのか。ICUに来た苗はいったいどうなったのか。最近話題のアナグマをはじめキャンパス内の動植物に詳しい上遠岳彦先生なら何か知っているかも知れないので、連絡してみた。あのバカ山の大きな木はレバノンスギですか? お返事「レバノンスギは、風間先生が以前に多摩森林科学園の先生に見てもらったという事だったので、間違いはないと思いますが、どの木を見てもらったのかはっきりしないので、もう一度確認してみます。」おおおお、やっぱりそうなのか。いやいやもう自分で確認しますって。名誉教授の風間晴子先生、お電話です。もしもーし、くくのっちです。「ハイ。それは、勘違いされていると思います。私が篠遠先生から聞いたのはレバノンスギではなくて、本館正面入口左に植わっているサイプレス(イトスギ)について、将来僕の植えたこの木が本館よりも高くなるでしょうとおっしゃってました」えええー? 後日風間先生の訪問を受けたので、並木浩一先生のGazette記事をお見せしたところ「レバノンスギはレバノンスギでどこかにあるのかもしれませんけど、私自身は存じ上げません」と。ガーーン。こうなったら加藤先生。ね。だって「本館傍」ってコラムに書いてたもん。どこかご存じのはず。プルルル、プルルル… カチャ。「ハイ、加藤です。あーくくのっちさんですか。レバノンスギね。アレ「本館」って書いてましたっけ? 正確には本部棟のすぐ裏なんです。写真に撮ってあるので添付で送ります」なにぃー! 本部棟のウラ? 前回調査ではウラにはヒマラヤスギ属は植わってなかったけどなあ。で、写真を見るとたしかに高さ5-6mの針葉樹。これがそうなのか。その場所に行ってみました。

◆ 枯死… でした。葉は全てなくなり完全に生命活動を停止してから相当時間が経っていることが確認できました。加藤先生の話では「2009年に定年退職を迎え、レバノンスギも画像に取っておきたいと思い、ロータリーを見たら、ありませんでした。それで、どこにあるのか、管財グループ(当時)のどなたかにお聞きしたと思います」。そうなのか。いんや、メゲずに今度はこれまで管理部・管財課に所属していた職員さんたちにインタビュー。池ノ内健司氏(元管理部長)談「それ、ありえないでしょ。当時はね、国際林(各国からICUに贈られた樹木で作る樹木苑の計画)の木をどうするか、1本1本検討してるような状況がありましたし、もしそんな由緒のある木だったら、本部棟のウラの建物と歩道に挟まれた狭い日陰に移植するとか、いや絶対ない」そーですよねー!! そうだそうだ。こりゃ何かの間違いだ。

◆ そうなるってえと、やっぱりあのバカ山の大木がレバノンスギではないのか。樹木loverたるものちゃんとホンモノと見比べてじゃないとね。いわゆる同定が必要でしょ。で、ネットで近場にあるレバノンスギを検索してみた。どうやら、10年ほど前に一橋大学小平国際キャンパスに植えられたことが分かった。ここならくくのっちハウスからチャリで20分。行って見るべし。一橋大学小平キャンパスは関東大震災の後、千代田区一橋にあった東京商科大学(一橋大学の前身)の予科(1、2年次課程)が移転してきた場所。西武鉄道多摩湖線「一橋学園」駅から徒歩7分。5月12日(土)の午後、チャリにて確認に行きました。ここがよかったのは、レバノンスギのとなりにヒマラヤスギが植わっていることです。これにより、よく似ている両者の微妙な違いがかなり把握できた。レバノンスギはヒマラヤスギに比べて葉の長さが総じて短く、堅さは柔らかく色も多少薄く感じた(樹齢が若いせいもあったのかもしれないが)。そしてバカ山株は、残念ながらレバノンスギよりはヒマラヤスギに近い…

◆ 別の疑問もわいてきた。本当に1990年1月のGazette記事の時点で「教会前のロータリー」の真ん中にレバノンスギが植わっていたのか、と。当時はいまバス停のある新ロータリーは無かったから、ロータリーと言えば教会前と考えるのが妥当だが、ここでちょっとひらめいちゃったのが、大学正門前の三角の島になった植え込み。これだってロータリーと言えないことはない。そしてくくのっちのノウミソが確かなら、この島の中心にある針葉樹が植えられたのがそんなに昔の事ではなかったように記憶している。ひょっとしてロータリーとはここのことではないのか。で、国土地理院航空写真サービスのサイトで当時の航空写真を精査したところ、やはり、1980年代に植えられていることが判明。翌朝、出勤時に車を守衛小屋の前に停めて、三角島に分け入り、樹木を確認する。レバノンスギでもヒマラヤスギでもなく、トウヒまたはエゾマツの種であることが分かった。くくのっち調査でも「ドイツトウヒ」と記述していた。じゃ、なんだ、全てが勘違いだったのか。レバノンスギなどとうの昔になくなっていたのに並木先生はじめ関係者一同、別種の樹木をそれと思い込んでいたのか? そしてバカ山の樹木は…?

◆ そこへ、久世礼子さんから電話「6月21日にICUにまいります。お会いしましょう」あれーーっ、ヤバいよヤバいよ、あのバカ山株はレバノンスギとは違う可能性があるんだし、正直に現状をお伝えせねば。「えーと、実はアレは違う可能性があって現在専門家が調査中です。他の先生からご指摘を受けた別の株もあったのですが、これは枯死しています。なのでこれがお父様のレバノンスギですとご案内できる段階ではありません。「そうですか。でもとにかくこんなに一生懸命探して頂いているので、一度お会いしてお話しをさせて頂きたいと思います」あーはい、恐縮です。お待ちしています。ホッ。

◆ 実は関係者聞き取り調査と平行して、ホントに外部専門家による鑑定も依頼していたのだね。その専門家とは、東京大学小石川植物園の東馬哲雄先生。ネットと電話でレバノンスギを調べるうちに、とある植物園の方から「東大のトーマ先生というかたがレバノンスギを研究されているので、私どもの園に植わっている株も確認してもらいました」旨回答があったので、ナニそんな人がいるなら、これはウチもぜひ確認してもらうべしと思い、メールでバカ山株の写真を添付して連絡をしてみた。回答「なるほど、葉の付き方にちょっと特徴があるようです。では見に行きましょう。サンプルを採取させてもらえればDNA解析させて頂きます」「でぃっ… えぬぅえー!?」そいつは力強い。っていうか、もう白黒はっきりするじゃん。ぜひぜひお願いします。

◆ 6月21日、くくのっちは久世(横山)礼子さん(ご主人とともに)の訪問を受けた。礼子さんは見るからに温和な印象。旦那様も優しそうなお方で、どことなく笹野高史みたい… って、もと明治学院ガクインチョーの久世了さんだったんですかーー!? うわっ、お茶も出さずに失礼しました。で、礼子さんはICU第2期生、お孫さんも現役ICU生とのことで話は尽きることなく、大変貴重な交わりの時間を持たせて頂きました。レバノンスギについて何か分かったことがあればお知らせしますとお伝えしました。

◆ いっぽうのDNA解析。2018年6月22日(金)11:00、キャンパスに東馬先生をお迎えしました。思ったより若く、穏やかな人柄。そして同じく植物に興味のある者同士話に花が咲いてしばし歓談。その後バカ山株の葉のサンプルを採取、お渡ししました。もしこれがレバノンスギであれば、国内最大級の可能性もあると。うわー。そんで、DNA解析の結果を待っている間にもくくのっちは休んだりはせえへんで。うらうらうら。管財グループ長の高田晃志氏にお願いして、学内の樹木関係の管理ファイル一式をお借りしてレバノンスギに関する記録が残っていないか、ファイルの中身をしらみつぶしに調べました。各種の記念樹(この中には篠遠先生の記念樹あり)と、Benjamin Duke先生が発起した各国代表者植樹による国際林計画については詳しく分かったけどね。レバノンスギは、やっぱり記録がない。なんでだろー。

◆ 次のブレークスルーは意外なところからやってきた。くくのっちはICUの歴史について過去の様々な刊行物などから記録すべき情報を採集しているのだが、DESIDERATA(イヤーブックね)を見ていて1985年版の中の1枚の写真に目がヌカづけ、いやクギづけになった。教会前ロータリーの中心に2.0-2.5mくらいの高さのレバンのスギらしき木が写っている。ぎゃ、本当にここにあったんだー。並木先生、疑ってすびばせん。いやーでもこれ、くくのっちが前世でICU生だったころの写真ですよ。ここに木なんか植わってたか? まったく記憶が無いなあ。でもこうなったらDESIDERATAかたっぱしから見るもんね。すると翌年1986年版にも写っている写真が。ン? んんんー? なんか小っさくなってない、これ? 1985年版に比べて写真自体が小さいせいじゃない。木自体が縮んでいるように見える。形も丸くなっている? 剪定されている!? DESIDERATAの巻号は卒業年に合わせてあるから、これは1986年の前年、1985年に撮られたものに違いない。

◆ ここまでに分かっているレバノンスギの来歴を整理してみよう。1957年(他資料からするに並木先生コラムで書かれていた1955年ではないようだ)農林省蚕糸試験場長だった横山忠雄氏はフランス出張の帰りに寄ったレバノンで大統領からレバノンスギの苗木を贈られた。持ち帰った後、自分の家の庭に植えていたものを、娘の礼子さんが通うICUの旧知、篠遠喜人教授の聖地植物園計画のために寄贈(正確な時期は不明だが礼子さんの記憶に寄れば帰国後間もない頃というから1957-1960年か)。篠遠教授は学内住宅の庭に移植しこれを育てた。その後学長も務め、1975年に定年退職した篠遠先生が1983年、ワンポイントリリーフで学長職を短期間引き受けられ際、無残に(というかちゃんと)剪定されたレバノンスギを発見し落胆、無用な剪定からこれを守り、大学のシンボルツリーとして育てるべく教会前ロータリー中央にこれを移植した。しかし、噫無情、この写真によれば、移植からわずか数年後の1985年前後にまたしても剪定の憂き目に遭ってしまったらしい。その4年後の1989年に篠遠先生は永眠。その翌年の1990年1月に並木先生がコラムを書いたときまではそこに存在していたが、礼子さんのおご子息がロータリーに確認に来た1992年頃までくらいの2、3年の間に、ロータリーからどこかへ移植されたか、伐採されたか、枯死したか…

◆ 聞き取り調査は継続。まずは学内の各種設営ほか作業全般を長きにわたって請け負って頂いている三成工業さんに訊きに行きました。「いやー、わかんない。ウチでやった覚えはないね」そっかー。おかしいな。誰かが移植作業してなきゃなんだが。つぎは退職教員の庄司太郎先生(現名誉教授)。庄司先生は篠遠先生の助手だったひと。のちにICU教授になり学生部長などを歴任された、くくのっちの卒論指導教員です。「え? レバノンスギ? いやー聞いてないねー」あ、そうですか。職員への聞き取りも継続。1990年から2000年まで管財課長を務め、この件について一番詳しく知っているであろう近藤清さんはすでに鬼籍に入られている。当時管財課主任だった小野さんにはTELでインタビュー。「うーん、レバノンスギねえ。ちょっと申し訳ないけど、記憶にはないねえ」現職員の中で管財課にいた諸橋さん、光永さん、稲田さん「記憶にありません。ご期待に添えず恐縮です」。次いで同じく堀口さん「旧ロータリーの真ん中に、レバノンスギがあったことはとてもよく覚えています。」ホ、ホントですかー!?

◆「90年代に、樹木剪定の際に、生長点を切って止めてしまいました。中心の幹のいちばん上の新芽のところです。ここを切ったので、以降は中心の幹が通った樹形では伸びることができないので、わき芽からの生長になったと思います。管財課の指示で切らせたと聞いたように覚えていますが、このあたりは私の記憶違いがあるかもです。当時の管財課長の近藤さんが、そのことで、貴重な樹木なのにと怒られてしまったと仰っていました。誰から怒られたかは聞いていません。」出たー。DESIDERATAで確認した剪定の時期とは若干異なるが、あれは写真の写り具合でそう見えるのかもしれない。「ここからは話の信憑性1割くらいで聞いてください。私が移植したという話を聞いた時、移植先の場所を、旧ロータリーから見て南東の方向を指さして説明されたように記憶しています。もしレバノンスギの行方がわかりましたら、私にも教えてください」堀口さんグッドジョブ。ていうかなんと恐るべき記憶力、あなた現代版稗田阿礼です。よっしゃ、いくでー。キャンパス南東方面。体育館まわり、グランド、アーチェリーレンジ、キャンプ場、幼児園あと、教員集合住宅… ない。野球場の外野を取り巻くヒマラヤスギがあるのみで、それっぽい株は見つからない。やっぱ信憑性1割だったからかな…

◆ とかなんとかやってるうちに、バカ山株のDNA解析を依頼していた東馬先生からメールが。「貴学の(バカ山の)ものは、残念ながら、ヒマラヤスギでした。私の把握している典型的なヒマヤラスギとは少し葉の感じが違いますが、種内変異なのでしょう」どぼじでどぼじでー。くすんくすん。でも、そだねぇー。葉っぱの長さが3cm未満ならもしかしてって先生は言ってたけど、明らかにそれより長かったもん。1985年に成長点を切られて2.0mにまで強剪定を受けた株がいくら30年たったってあんな巨木になってる道理がないんだし。

◆ ウーン、近藤さんがいれば全てを知ってるはずなんだ。剪定して怒られたって言ってたんだからその後のことも知ってたに違いない。おそらく近藤さんはレバノンスギが数千年の樹齢に達する巨木になるって事も聞いていたに違いない。「今後剪定ができないとなると、桜並木の正面のロータリー越しにチャペルが見えるICUの顔とも言える風景が損なわれる。大きくならないうちに早くここから動かさないと」と考えたのではないか。また、堀口さんから得た情報に「ロータリーの植え込みの真ん中にぴょこんと頭が出て植えてあるのが、一部の方に違和感を持たれていました」とある。このまま放っておく訳にはいかないし、かといって伐採すればもとの寄贈者や篠遠先生の教え子たちから「あれ、どこにやりました?」って聞かれた時に困る。くくのっちが近藤さんの立場だったら、どうするだろう… どこか、あまり目立たないが木が枯れもしないところ、この木に由縁のあるところに移植するのではないか… ウーン… あっ、そうか。篠遠先生のもと住宅だ。この木がもともと植わっていたところ。目立たず、由縁があるところと言えばそれしかない。自分だったら、そこに植え戻す。

◆ 管財グループ長高田さんに再度電話。篠遠先生が学内のどこに住んでいたか分かりますか?「えー、篠遠先生は1955年当時学内住宅Aという泰山荘門の左のスペースにあった住居にお住まいだったらしいです。」で、チャリを飛ばして行ってみた。キーコキーコ。なんじゃこれは… こんなところに住宅があったのか、今は見事な雑木林と藪。カヤの大木が何本か直立している日陰だ。1992年にもすでにこれに近い状態だったに違いない。近藤さんはレバノンスギをこんなところに植え戻そうとはしなかったはずだ。ここじゃない。篠遠先生は1971年に学長になって学長宅に移られたはずだ。ならばその時、大切に育てていたレバノンスギも学長宅に移植したに違いない。泰山荘のすぐ右隣にある望嶽荘(学長邸)へ行ってみた。キーコキーコ。おおっ、玄関前のロータリーに2mくらいの針葉樹が! [ト駆け寄る] ああー、こりゃ違う。これはトウヒです。クリスマスツリーにできる木です。レバノンスギではありません。うーん… 万事休す、か。

◆ いやまてよ、いやいや、いやいやいや、違う違う違う。学長邸はここではない。本部棟が1978年に完成するまではロータリー北東角(今は本部棟前の芝生部分)に学長邸があったはずだ。1971年から1975年まで学長だった篠遠先生は、そっちに住んでたんじゃないのか。きっとそうに違いない。いそいで本部棟玄関へとチャリを飛ばす。キーコキーコ。本部棟玄関前に自転車を置いて前庭に立つ。そして辺りを見回すと…

◆ わわわわわ。キターーーーーッ。芝生の端に近いところに4.5mくらいの針葉樹。明らかにヒマラヤスギ属。記念樹の記録にも載っていない針葉樹がこんなところに1本だけ植わっているのは、何か特別な理由があるからだ。これだ。これに違いない。駆け寄って詳しく調べる。地表1.3m高さの幹回りが60cm。これはこの樹高にしては太い、つまり過去に強剪定を受けている可能性が高い。葉っぱの長さは最長のものでも3cm未満、レバノンスギの条件に合致する。剪定から30年経っているにしては樹高が低い気もするが、ここは南側がマクリーン通り沿いに茂った高木の蔭になっており、日照条件はよくないのでそれもありうる。さらに堀口さんが言っていた「移植先は旧ロータリーから見て南東の方向を指さして…」というのが、ロータリーの位置からではなく、本部棟内2階の管財課オフィスの中から指さしたのであれば方向も一致する。急ぎサンプルを採取して東馬先生へメール。今一度だけDNA解析をお願いしたいのですが、今度はこちらから持ち込みさせていただくことはできますでしょうか? これでダメならあきらめます。「20-30cmの枝を、ジップロックなどにいれて、郵便局のレターパックライト(360円)で送っていただければと思います。」よしっ。えーとレターパックライトは買ったけどジップロックがないなあ、この時間食堂もしまっているし… そうだ。こんなときはお世話になった銀杏寮の管理人さん、お願いします。ハイッ。ありがとうございます。サンプルをジップロックに入れ、レターパックライトに入れて郵便局前ポストに投函し、手を合わせて祈る「どうかレバノンスギでありますように…」。

◆ 2回目のDNA解析依頼からちょうど1週間目の2018年7月6日(金)、東馬先生より待ちに待ったメール「ご連絡が遅くなりすみません。追加で送っていただいたもの、レバノンスギです。よかったですね。」よおぉっっしゃあぁーーー!! ひとりデスクでガッツポーズをとり、炭酸水で祝杯をあげる。

◆ ご報告です。カミール・シャムーン第9代レバノン大統領、横山忠雄さん、篠遠喜人先生、あなたたちが60年前、日本人に贈り、日本に持ち帰り、譲り受けて大切に育てたレバノンスギはちゃんと生きていますよ。近藤清さん、あの場所に再移植したあなたの判断は正しかった。いつか、くくのっちのような酔狂な人間が探しあてるであろう事を見越して、ヒントとなる場所に植え戻してくれたんですね。ICUのキャンパスにはレバノンスギ以外にも、人々のいろんな思いを伝える木がある。人の住むところ、町にも建物にも歴史が刻まれてゆきます。木にだって歴史はあるんです。今回は並木先生のコラムに始まって、関係者(退職者を含む)へのインタビュー、関連資料探索、実地踏査、研究者への解析依頼、と考えうる全ての手段を使って、木の植わっている場所を突き止めることができた。そのなかで決め手となったのは関係者の証言だった。情報をいただいた関係者全員に感謝したい。あと20年遅かったら、関係者の多くが旅立った後だったら、たぶん誰にも見つけられず分からないままレバノンスギはただの庭木として人知れずキャンパスの片隅で葉を広げていたに違いないし、もしかしたら諸事情で伐採されていたかもしれない… 人の記憶は大切だけれど、タイムリミットがある。「記憶」を継承する「記録」の大切さにもあらためて気づかされた数ヶ月間だった。

ICUレバノンスギの移植履歴(移植年は推定)

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