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不便への憧憬 (2004年4月23日)

先日、NHKで放映された番組『映像詩 里山 命めぐる水辺』で紹介された琵琶湖北地方の風物は美しかった。民家の台所の流しに引き込まれた清流に鯉が泳ぐ川端(かばた)や季節により表情を変えながら、多様な生命をはぐくむ芦原、鯉漁の老人、人と動植物との共生。唖然としてしまうような美しさだった。こんな美しい場所に行ってみたい。この番組を観た多くの人はそう思ったに違いない。

だが、この美しい場所に住みたいかと訊かれると話は別だろう。見たところ川端には外気を遮断する構造はない。どうやら真冬でも窓全開の状態であるらしい。梅花藻が花を咲かす流れの水質を保つためには、シャンプーや台所の合成洗剤どころか石鹸も使えないのかもしれない。(用水に下水は流れ込んでないと思いますが、川端で茶碗を洗うシーンはありました) 田舎なのでカタカナの職業はないだろう。もしかすると農業漁業ほかの第一次産業に従事する事になるかもしれず、年収はかなり減る。本屋もなければ、レンタルCD屋もないかも。有名アーチストが来るようなコンサートホールは周囲50km以内にないかもしれないし、ADSLもケーブルテレビもないかもしれない… 以上は勝手な憶測。

しかし、この番組で紹介されたような美しい自然・生活環境と文化的物質的に恵まれた我々の都市型の生活、それら両方のいいところだけを頂戴する訳にはいかない事だけは確かだ。どちらを選ぶかと問われれば大半は後者を選択するだろう。その結果が今の日本や他の先進国の生活となっている。人間は美しい生活より便利な生活を望むのである。

歴史を振り返ってみれば、人類はタンザニアの峡谷で初めて道具を使って以来、とにかく生活を便利に快適にする事に血道を上げつづけたといっても過言ではない。道具や薬や組織を作る事で人類生活のアメニティはどんどん加速した。 ところがこの肥大する便利の先に何が待ち構えているか、深く考える者はそう多くない。

便利の正体をとことん追究すれば、「この世に生まれ、何もせず、楽に死ぬ事」につきるだろう。朝は起きたくなるまで起きなくていい、勉強しなくていい、働かなくていい、そうやって何にでも「○○しなくていい」をつけ始めたら、最後に残るのはおそらく「生きなくていい」なのである。人生とはありとあらゆる雑事や課題や困難に煩わされ続ける事である。殆どなにものにも煩わされない生をまっとうできるのは動物だけであり、人間が生まれるという事すなわち「この先大変」ということなのではないだろうか。

川端のある民家の生活に憧れるのは、不便な生活をしているあの老人の方が、自分たちよりより濃い、より人生らしい人生を生きているように感じられるからではないだろうか。

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