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井上ひさし氏の訃報に接して 2010-04-13

2010年4月9日、井上ひさし氏が亡くなりました。小説・戯曲・エッセイと多くの作品を残してくれましたが、一般的には、「父と暮らせば」(ICU図書館に所蔵あり)の原作者として記憶されているのではないでしょうか。もともとは舞台上演された戯曲ですが、映画化で広く一般に知られるようになりました。ICU図書館にあるのは英文対訳。DVDを観ながら参照するのも面白いと思います。セリフの変更はありません。

オールドファンにとってはなんといっても、NHKの「ひょっこりひょうたん島」です。後々まで、ドン・ガバチョの有名な笑い声「ハタハッハ」は、ハッハッハと手書きしたのを読み間違えたせいだったとか、ちくま文庫全13巻は、一ファンの小学生が毎日、学校から一目散に帰宅して、テレビの前で一所懸命ノートにとってくれた賜物だとか、その時々に話題を提供してくれたものです。なお、この小学生伊藤悟くんは長じてから、ひょうたん島と自身との関わり合いについて何冊かエッセイを書いていますが、ICU図書館には、彼が自分のことを別のテーマで発表した図書が数冊あります。

ところで、NHKといえばもう一つ、テレビ史上初と話題を呼んだ、日本語字幕入り日本語ドラマ「國語元年」を1985年に放送しています。全国統一話し言葉の制定を命じられた長州出身の官吏南郷清之輔が、薩摩出身の妻と岳父、江戸や遠野やその他から来た奉公人たちの、それぞれのことばが飛び交う中で、文明開化語なるものの創案に狂奔する、というストーリーでした。

井上氏本人も愛着のある番組だったようで、ずっと以前に「再放送してくれないかなあ」と言っていたのを読むか聞くかした覚えがありましたが、2004年になって突如、待望の再放送が実現しました。逸る心でテレビの前に陣取って視たのはもちろんのこと、全5回を録画したビデオテープは、まさにお宝です。(現在はDVD発売中)

さて、このテレビドラマの原作「國語元年」は昭和60年に、中央公論社「日本語の世界第10巻 日本語を生きる」(ICU図書館に所蔵あり)に収録されました。全425ページの3分の2を占めています(のち中公文庫)。

そのほぼ一年後、今度は新潮社から「國語元年」(ICU図書館に所蔵あり)が刊行されます(のち新潮文庫)。ところが、ここではテレビと違って清之輔の息子は登場せず、また、一人は役名を少し違えてあります。話の運びも異なっている。よく見ると、タイトルページには、書名と著者名のほかに、新潮社ではなく「新潮社版」の4文字が。

実は、新潮社版は舞台用の戯曲版を刊行したもので、同一著者による同一書名の本が、異なるテキストで存在している訳です。似たところでは、やはり新潮社の、恩田陸著「六番目の小夜子」(ICU図書館に所蔵あり)に、最初の文庫版とその後の単行本とで異同がありますが、これもテレビドラマ化が一因となっているようです。なお、福田恒存の「私の國語教室」(ICU図書館に所蔵あり)は、中公文庫でも新潮文庫でも(文春文庫でも)刊行されましたが、これはいずれも再刊でした。

他の戯曲も読んでみたい方には41作品を収録した「井上ひさし全芝居 全5巻」(ICU図書館に所蔵あり)がお勧め。当初は全3巻で刊行されました。追加された第4巻には上記の「國語元年」戯曲版のほか、昭和庶民伝三部作の「きらめく星座」、「闇に咲く花」、「雪やこんこん」、もとは同三部作の第二部だった「花よりタンゴ」その他を、第5巻には1993年刊行の「マンザナ、わが町」までを収録しています。

これ以降のものについては、主に文芸誌「すばる」(ICU図書館に所蔵あり)に掲載されています。2009年5月号の「ムサシ」は来月にロンドンからの凱旋公演のはずが、追悼公演になってしまいました。

小説では「吉里吉里人」(ICU図書館に所蔵あり)が、日本SF大賞と読売文学賞をダブル受賞して、おおいに洛陽の紙価を高め、余勢を駆って映画化の構想もあったそうです。吉里吉里国の独立と挫折の顛末を記した、834ページ2段組のこの大著は、「読むのに、物語の中で流れる時間と同じだけの時間がかかる」ことを意図したともいい、読了には二日間ほど必要だそうです。

ゴールデンウィークを利用してとお考えでしたら、もう1冊、紹介したい本があります。「井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法」は、前文と第九条を易しく書き改めた「絵本」と考え方や内容を説明した「お話」に、資料として日本国憲法全文を付した、小学生を対象とする70ページの小冊子ですが、この本に込めた氏の思いは「はじめに」と「あとがき」に、十分にうかがわれます。

モットーだった「むつかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをゆかいに」(いろいろ異同あり)をどのように実践しているか、という点でも興味深い本です。子ども向けだからとか、憲法なんてと思わないで、気軽に開いてみてはいかがでしょうか。

井上氏は、ある対談で「早稲田の仏文と慶応の図書館学科に受かったのですが…上智に入ることにしたのです…」と受験当時を振り返っています。ひょっとしたら我々の上司だったかもと、つい想像してしまいますが、やはり才能はしかるべきところを得て大きく開花しました。浩瀚な遺産に感謝し、心よりのご冥福をお祈りいたします。

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