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ひろがるひろいもじ 2015-06-16

『フランス文学小事典』(R/950.33/F922)の「ペレック、ジョルジュ」の項に、"小説家。…。代表作に母音字eを用いないリポグラム形式の小説『失踪』(La Disparition, 1969)、…がある"と書いてあります。が、この「リポグラム形式」についてはふれていません。索引にも見当たらない。幸いなことに、La Disparitionには翻訳があります。塩塚秀一郎訳『煙減』(953/P415dJ)の、32ページに及ぶ訳者あとがきが、この作品とリポグラムについての詳しい説明になっている。書き出しはこうです。

「途中で投げ出さずに最後まで読み通してくださった方は、すでにお気づきのことだろう。本訳書(の黒色で印刷された部分)においては、「い段」(いきしちにひみりゐ)の仮名と、それらを「読み」に含む漢語、数字、英字が一切使われていない」

そして、文学の新しい形式や構造を提供することを目指して創設された文学集団ウリポ(団体名称の頭文字に因む)について述べ、『煙減』を生み出した「形式」あるいは「構造」とは、

「それは「Eのリポグラム」という制約であった。リポグラムとは、アルファベットの一文字ないし数文字をまったく使わずに文章を書くという、古くからある言語遊戯のひとつである」

と記して、300ページ以上ある『煙減』のフランス語原文に、Eの文字は一度も出てこないが、それはフランス語でもっとも出現頻度が高いので、使用せずに文章を書くのはこれほど困難だ、具体的に例を挙げています。
なお、英語においても事情は変わらないことは、エドガー・アラン・ポーの「黄金虫」(B/933/P76/v.4)やアーサー・コナン・ドイルの「踊る人形」(E933/D908oJ/v.6)をお読みになった方はご存じだと思いますが、"La Disparition"には、原著同様にEの出てこない英語訳があるそうです。

その他、スペイン語、ロシア語でも、それぞれ最頻出文字を使用していない翻訳があること、日本語訳が「い段」の仮名を排除したそれなりの根拠など、訳者あとがきは読みごたえ充分。

さて、リポグラムは「文字落とし」ともいいますが、使える文字が初めから限られている場合は何と呼べばよいのか。『文藝春秋』(P/051/B89)2014年8月号に、「足りない活字のために」というコラムが載っています。書いたのは武眞理子さん。肩書きは、馬喰町ART+EAT主催者です。

岩手県釜石市の「藤澤印刷所」は、東日本大震災で活字が散乱し海水を被りました。それを一人のボランティアが、持てる限り拾い集めて譲り受けた。その数、約3000本。「あ」が6個、「か」は5個と、ひらがな50音は少ないながら辛うじて揃っていますが、小さい「っ」や「ょ」などはありません。漢字はほとんどない。あっても、「艸」や「聲」のような、馴染みのないものもまじっている。

これを託された銅板画家の溝上幾久子さんは作品を作るうち、そのボランティアとグラフィックデザイナー、ペーパーディレクターも加えて、プロジェクトKAMAISHI LETTERPRESSを立ち上げます。そして、展示できないだろうかと武さんのところに持ち込みました。話を聞いた武さんは、それらの活字の存在を重く受け止めて、行動を起こします。一覧表を添えて、「これだけしかない活字を使って、詩をつくってくれませんか?」と幾人かの作家に依頼したのです。

12の作品が届けられました。これを、溝上さんが自ら組版し、手動の簡易活版印刷機で各30部を印刷。それぞれの作家が自筆サインを入れた作品に、さらに何人かの版画家の挿絵を添えて(例えば「りんご そのに」には、溝上さんのエッチング)、2013年10月、馬喰町ART+EATで「足りない活字のためのことば」展が始まった。売上げの一割を釜石の復興支援活動に充てることは、あらかじめ決まっていました。

展示は大きな反響を呼び、多くの来場者を集めます。釜石からもやって来ました。その人たちがそれぞれに、「地元でも見せたい」との思いを武さんたちに伝えていきます。KAMAISHI LETTERPRESSの方でも、作品と共に活字を里帰りさせたい、と考えていたところでした。両者の願いは2014年5月に実現しました。釜石での巡回展には、藤澤印刷所(現在はフジサワ)のスタッフも参加し、活版印刷体験の指導にあたったということです。展示はそのあと岩手県内を巡回、10月の釜石まつり期間に戻る予定だと書き添えています。

谷川俊太郎の8行の詩のタイトルは「たりる」。「かけたかつじは てにひろわれて」と始まります。ドリアン助川は自作を釜石で朗読しました。短歌を寄せたのは枡野浩一。穂村弘は、ない文字を逆手にとってクロスワード仕立てにする。見事に韻を踏む國峰照子の「ひだりのまち」。ぱくきょんみの詩「りんご そのに」は、「りんご」が「りん」になり、最後は「り」だけになるのが切ない。しかし、姜信子の「うたのはじまり」は、文字も人間も「とおいむかしのだいこうずい」でバラバラになったけれど、人は記憶を呼び集めた、そして、歌が生まれ、「はじまりのうた きこえる聴こえる」と、号数の異なる漢字も交えて、力強く謳いあげています。

文字の種類とその数の制限に加え、簡易印刷機はA6(ポストカード)横サイズ用なので、そのままだと12文字×16行、A6縦を2面にしても16文字×22行までという、リポグラムとはまた違った条件のもと、不完全であること、不自由であること、それを前提に何かが始まるのであれば、どこかでだれかの役に立つかもしれない、という思いから生まれた「足りない活字のためのことば」は、今年度中には出版される予定だという。もちろん活版印刷でしょう。早くこの目と手で、その美しさに触れたいものです。(M)

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