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一本でもニホンゴ、二円でも…(古い雑誌から) 2016-06-21

『月刊言語』1989年5月号です。特集は「日本語大問題集」。言葉の専門家がそれぞれのテーマで全24問を出題しては、自ら解答しています。専門的なことはさっぱり分からないのですが、第23問「言葉の機械処理」の課題文は面白かった。

問いは、ワープロ(もはや死語?)にカナ入力した文章が、変なふうに変換されてしまったが、それは何故か、というものです。例示してある文章は以下のとおり。
[文1] 筑波研究学園都市、それは研究機関がまったくなかったところへ移転した研究者には苦闘の象徴であった。
[文2] 筑波研究が食えんと市、それは研究期間がまったくな勝ったところ閉店した研究社に白糖の省庁であった。
出題者は筑波大学の先生でしょうか。文2への変換は、今やるとけっこう面倒です。

この特集には他に「解答のない問題集」が付いていて、その1は「外国人が作った日本語問題集」全10問です。そのうち【問4】は、
「本」という助数詞は、長いものを数える時に使うと習いました。しかし電話(電話器ではない)・映画・論文なども一本、二本と数えます。「本」の使い方について詳しく説明して下さい。

これを引用し、
「【答】は書いてなかった。〈答えをあえて示しません(というより、示すことができません)。教室ではこのような問いに、たった一人で、ただちに、ごまかすことなく、答えなければなりません。どうしてもわからなければ、「次の授業までに調べてきます」と言うことになります。それでもなおわからなければ? 日本語教師などという仕事についてしまった我が身を呪うしかありません。私のように〉と愚痴が述べられていた」
と『死語読本』(白水社。のち文春文庫)に書いたのは塩田丸男です。

日本語教師のこの悩みは、コミックエッセイ『日本人の知らない日本語』(メディアファクトリー)にも見られます。第1巻のオビには、主人公である日本語学校のなぎこ先生がハチ卷きをして、“さあ来いマニアックな質問”と腕組みをして立っている絵が描いてありますが、第一章始まってすぐの「助数詞という迷宮」で、ホワイトボードの川やネギの絵を例に、「長くて細いものは一本と覚えましょう」と教えられた生徒が、「じゃあ「ヘビ」も一本ですね」と質問する。「ヘビは「一匹」です。動物だから」と言われた彼は、「中国では川もヘビも同じ「条」でかぞえるのに…」と頭をかかえてしまうのでした。

さて、解答のない問題だった“長いものを「本」と数えるのはどうしてか”ですが、実は、『月刊言語』に答が載っています。同誌には、ジュニア版とシニア版に分かれた「チャレンジコーナー」という連載がありました。1993年3月号から8月号までの担当は誰あろう、ICUの日比谷潤子学長でしたが、同年11月号のジュニア版の課題は、
「…長い棒などを「本」というのはごく当然ですが、それだけでなく、原稿や記事、格闘技の勝負、カセット、ホームランなどを「本」というのは、何か共通点があってのことでしょうか。また、三振やCDを「本」といわないのはどうしてでしょうか。できるだけ多くの例をあげて、あてはまるもの、あてはまらないものを分類し、使用の適切な条件を考えて下さい」
でした。模範解答は1994年1月号をご覧ください。「仕事を三本かかえている」など、興味深い表現も出てきます。

ところで、なぎこ先生は「2つまとめて数えるものもあります」と授業を進め、靴下は左右で一足、と言ったところ即座に、「パンティストッキングはつながっていますが一足ですか」と突っ込まれてしまうのだが、「朝起きて靴下をはこうとしたときのこと。左足を靴下に入れたとたん、指先にものすごい激痛を感じた」と始まるのは、東大の英語の先生柴田元幸によるエッセイ「靴下にひそむ危険」(『生半可な學者』(白水社)所収)です。

中にハチがいたのだと明かした柴田は、busy as a beeとかhave a bee in one’s bonnetとかハチに因んだ成句を紹介したあと、十九世紀の後半にアメリカで流行し、じきイギリスにも広まった”spelling bee”に言及します。難しい単語のスペルを当てる競技のことです。アキーラという少女がこれの大会で優勝を目指す『ドリームズ・カム・トゥルー』という映画がありましたが、原題は”Akeelah and the Bee”でした。
柴田はまた、イギリスの11人の大臣に、ある文章を書きとらせたところ、全く間違えなかった者は誰もいなかったという話も披露しています。問題文の日本語訳はこうです。
「皮をむいたジャガイモの対称性を測っている物売りが難癖をつけられて当惑しているのを目にするのは気持ちのよいものではない」
やらされたお歴々も、気持ちのよいものではなかったでしょう。ソソウがあるといけないので、原文は略します。

その”spelling bee”ですが、間違えたら即退場で、問題はどんどん難しくなっていく。きっと、正解するたびに「ご名答、“一本”!」なんて盛り上がったのに違いありません。例に挙げてあるsequipedalian〈一フィート半の、長ったらしい〉などは、うってつけの難問ですね。ただし、柴田によれば、differenceやdialogueなども出題された。「当たり前のことだが、英語国民みなが英語を完璧に読み書き話すと思うのは間違いである」とは、浅学の身には何とも心強いお言葉です。この柴田先生、「バナナワニ園」を「バナナは二円」だと思ったことがあるそうで、ますます嬉しい。
(M)

おまけ:
『月刊言語』1989年5月号の「解答のない問題集」その2は、【ここにある問題は、国際基督教大学教養学部の入学試験の一つとして実施されている「一般能力考査」の一部です。トライしてみて下さい。】という編集部の前書きどおり、あの懐かし(?)のSATです。各考査室で
「この考査の大部分は、対(つい)、または組になっていることば、事がら、数、または記号のあいだの関係や原理をみてとって、それと同じ関係がなりたつように、べつのことば、事がら、数、または記号の組み合わせを完成させることが狙いです。与えられた四つの答えのうち、もっとも適当と思われる答えを一つだけ選びなさい」
と読み上げるのは、主任監督を務める先生方の役割でした。

『生半可な學者』の別のエッセイに、ある偉大なシェークスピア学者の伝説が出てきます。彼は入試監督の仕事が嫌で嫌でたまらなかった。柴田先生も身に覚えがあるとみえて、“ぼさっと立ってるだけじゃないかと思われるかもしれませんが、実際やってみると、無駄な緊張ばかり多くて、あれはたしかに嫌なものです”と同情しています。
ある入試の時のこと。試験場に着くやいなや、このシェークスピア学者は心のなかで、「早く終われ、早く終われ」と念じていました。開始時間になる。受験生に「はじめ」と告げなければなりません。ところが、心の思いがつい声になり、「やめ!」と叫んでしまったというのです。しかし、そこは偉大な学者、落ち着き払ってこう付け足した。「……と九十分後に言います」

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