? コラム M氏の深い世界 20170227:国際基督教大学図書館 ヘッダーをスキップ

ピアノ聴きかじり(古い雑誌から) 2017-02-27

“Kateigaho International Edition” 創刊第4号です(2004 Summer Issue)。創刊第1号は2003年11月刊(2003 Autumn Debut Issue)。但し2003年6月にInaugural Issueが出ています。”Japan’s Arts & Culture Magazine”とあるように、ジャパネスク満載のカラーグラビア雑誌で、毎号、月・禅・和食・京都などの特集を組んで日本美を伝えます。本文は英語ですが、左耳にピアスをつけた市川海老蔵の横顔を表紙にした創刊1周年号の記事Ebizo Allures Parisは英語フランス語併記でした。

連載の一つにStill Garden(日本の名庭)があり、龍安寺、西芳寺、雪舟、坪庭と来て、第4号は”Moss” photography and text by Tadayuki Naito。写真家内藤忠行が西芳寺と東福寺を紹介している。東福寺の苔庭には、正方形の踏み石が市松模様に配されていますが、”The methodically arranged checkerboard pattern gradually breaks the grid as it moves to the right.”。苔に埋め尽くされた庭を観たいものだと思っていた内藤は、ついにそれを目の当たりにする機会に恵まれたときの感動をこう記す。”It had a perfectly balanced sense of tension with all the delicacy of improvisation one associates with the music of jazz great Bill Evans and Jim Hall.”。

ジャズピアニスト八木正生の『きまぐれキーボード』(話の特集)は、ABC順にAutomatic Piano、Be-bop、Charlie Parker…と26のエッセイを収録していて、”I”はInter Play(Interplay)。八木は、ビル・エヴァンス・トリオのように、ピアノ、ベース、ドラムがそれぞれからみ合って曲があやなして進んでいくのをインタープレイと呼ぶのだと思うと書いています。
“そもそもインタープレイなんて言われだしたのはビル・エヴァンスとジム・ホールのデュオ(注:ピアノとギター)が最初だった。それは素敵なアルバムで「アンダー・カレント」というタイトルなのだけど、この二人のインタープレイは実に見事だった”

このアルバムは、ジャケットの美しいことでも知られています。仰向けになって水面からわずかに沈んだ白い長いドレスの女性を、下の方から撮ったモノクロ写真です。女性は両腕を垂らしている。顔は上に出ていて見えない。沈んでいくところでしょうか。

今年4月発売の第60号をもって休刊する新潮社の『考える人』が「ピアノの時間」を特集したのは2009年春号でした。37名に「私の好きなピアノ・アルバム ベスト3」アンケートを行なっています。圧倒的にクラシックアルバムを回答する人が多い中、エバンスの名前を挙げた人が5人。他に、キース・ジャレットを選んだ人が4人いました。

キースのピアノの音について、山下洋輔が佐藤允彦との対談で触れています。
山下 本家(注:ヨーロッパのこと)というと、ピアノの鳴りが違うんだよ。いろんなとこへ行ってわかったけど、テープに取ってみるとね。ほんとにキィーンと伸びる音がするんだ。
佐藤 湿度の関係じゃない?
山下 絶対そうだ。
…………
佐藤 全然ピアノの鳴りが違う。
山下 特にテープに取ったときは違う。キース・ジャレットのソロの音なんてあるじゃない。ああいう音がするんだよ。
(『セッショント-ク』(冬樹社)より)

「ピアノの時間」特集のインタビューで、調律師の外山洋司氏はこう言っています。
「ピアノの「声」をどう出すかということは、どこかで人間の発声というものにも通じているんじゃないか、と私は思っています。例えば、ドイツ語、イタリア語、フランス語、英語、どの言葉も鼻腔や胸など体で音を響かせます。それに比べ日本語は平板で、イントネーションに抑揚が少ない。…西洋的な発声というものをからだで理解していないと、かりに数値的には文句のない調律ができたとしても、音楽を奏でる楽器としては、何かが足らない、という問題はいつでも起こり得ます」

エッセイ「ピアノとわたし」を寄せているのは鈴木淳史です。
「高校の講堂のステージには、古いグランド・ピアノが放置されていた。鍵盤の一部の表面は剥がれ落ち、調律は狂っているどころか、弦が切れている部分もあり、まともに演奏できないことは確かだった。…その頃には、ジョン・ケージやヘンリー・カウエルなどの現代音楽を喜んで聴くようになっていた私は、同じ趣味を持つ友人と連れ立ち、そのピアノに様々な工夫をした。ピアノの弦の間にボルトや消しゴムを挟み込み、プリペアド・ピアノを試してみたり、弦の上に紙やボールを置いて鍵盤を叩くようなこともやった」

『ラルース世界音楽事典』(R/760.33/L327)によれば、[プリペアード・ピアノ]は“ピアノの共鳴箱や弦に異物を挿入したり取りつけたりして、音色を変える技法、およびこのような処置を施したピアノ。…プリペアード・ピアノの作品で最も重要なのはジョン・ケージのものである。とりわけ《プリペアード・ピアノのためのソナタとインタールード》(1946~48)という曲集は重要…”。CD解説によると、この作品では53の金属(ボルト、ナット、ねじ等)、16のゴム(消しゴム1個を含む)、4つのプラスティック片によってプリペアされるのですが、調律師は一体どこまで関与してたんでしょうか?

ケージにはもう一つ有名な曲がありますね。「4分33秒」は3楽章全部が“休み”。ずっと休み続けて演奏(?)は終了します。深みにハマりたい人は、佐々木敦『「4分33秒論」:「音楽」とはなにか』(762.07/Sa75)を読むも良し、CDを買ってみるも良し。演奏にあたって楽器の指定はありませんが、4分33秒の間じっと黙っている人がいると、JASRACが著作権料を取り立てに跳んで来るというジョークがあります。ピアノでの演奏が多いそうですが、調律は? これはするんじゃないかな、CDがあるくらいだから。聴いたことはありませんが、ライブ盤なのかスタジオ録音なのか気になるところ。

ケージの名前は、Alan MarxがEric SatieのVexationsを弾いたCDの解説にも出てきます。一分ぐらいの短いパッセージを840回繰り返して完演となるこの曲は“Played according to instructions, Vexations would fill twenty-one CDs. This CD includes forty repetitions; it is just an introduction.” それでも69分40秒かかっています。ケージは世界初演に関わった。“John Cage organized the world premiere of Vexations in September 1963 in New York, where a band of pianists performed the work in 18 hours and 40 minutes.”
この時の模様を、新井満が『ヴェクサシオン』(文春文庫)の「あとがき」代わりの小文で伝えている。
「ピアニストたちも聴衆も飲まず食わずでこの実験に参加したのである。夜明け前、二十時間近い演奏がようやく終わった。ホール内は深い疲労感に包まれていたが、それでも聴衆は安堵の溜息をつきながら熱狂的な拍手を送った。その時、客の男の一人がやおら立ちあがり、「ブラボー、アンコール!」と叫んだが、聴衆の誰も支持しなかったという」

鈴木淳史は『クラシック悪魔の辞典【完全版】』(洋泉社新書y)にサティのことを、「七十年代はニューウェーブ扱いで、八十年代はテレビドラマの音楽で、結局、徹底的に毒抜きされた人」と書いていますが、『ヴェクサシオン』は1987年刊。主人公の雨宮三郎はテレビCFのプランナーです。九十九里、伊豆、三宅島、…ロケに行った先々で、暇を見ては海をビデオに収めて来る。波が寄せて返すのを固定カメラで延々と撮っただけのもので、BGMも効果音もない。そんな海の映像が淡々と流れるリビングに、ピアノが置かれています。塗装がところどころ剥げ、鍵盤も一、二個なくなっているアップライトピアノです。

山下洋輔は佐藤との対談で、こうも言っています。
「ピアノのふるさとだわな。あすこ(注:ヨーロッパ)で、スタインウェイやらベヒシュタインやらをつくって日本へ持ってくるということは、海のなかへジャボンとつけちゃうんだから、鳴りませんよ、これは。ピアニストの腕かなと思ってたんだけど。そうでもない節があるな」

ピアノが海に落ちたらどうなるか? スウェーデンの劇作家ヨハン・アウグスト・ストリンドベリが、「海に落ちたピアノ」というメルヘンを書いています。学生時代にラジオドラマで聴いたことがありましたが、それと同じ訳かどうか、北林谷栄の朗読で、藤城清治が16分の影絵アニメに仕上げています(ビデオ『藤城清治メルヘンコレクション 影絵名作劇場』第一集所収)。
小さな港の桟橋に毎日、少年が座っている。ある日、入港した船が荷揚げ中に、大きくて重そうな荷物を落としてしまう。揺らぎながら海の底に届いたのはピアノでした。夜になり、ピアニストを待つかのように月の光が降っている。

芥川龍之介の掌篇「ピアノ」(『日本近代随筆選 2』(b/914.68/C42/v.2)所収)を連想します。関東大震災の翌年秋、“わたし”は雨の中、人を訪ねて横浜の山手を歩いて行く。「或家の崩れた跡には蓋をあけた弓なりのピアノさえ、半ば壁にひしがれたまま、つややかに鍵盤を濡らしていた」。夜に入って駅への帰り道、雨は上がっていました。「すると突然聞こえたのは誰かのピアノを打った音だった。いや、「打った」と言うよりも寧ろ触った音だった。わたしは思わず足をゆるめ、荒涼としたあたりを眺めまわした。ピアノは丁度月の光に細長い鍵盤を仄めかしていた…」。

海に落ちたピアノは、魚がたまたま鍵盤に触れて音を出す。魚たちは面白がって次々と戯れ、その音色と響きを楽しむ。少年の耳にも届きます。ある日、海底に嵐が起こってピアノはバラバラに壊れて行ってしまった。もう何も聴こえて来ませんが、少年はまだ座っている。

『アンダーカレント』のジャケットの女性は、ピアノだったのかも知れません。新井満が訳した「千の風になって」の原詩のように、”I do not sleep”、”I did not die”と訴えているようにも見えます。
(M)

おまけ:ピアニスト
『クラシック悪魔の辞典【完全版】』より
① (略)
②ホロヴィッツによると、○○○○と○○と○○○○に分類されるもの。
③中村紘子によると、何やら野蛮な民族らしいもの。
(注:一部伏字とさせていただきます)

中村紘子『ピアニストという蛮族がいる』(文春文庫)もホロヴィッツの放言を紹介しています。但し、ハロルド・ショーンバーグの名言「すべてのピアニストは天才児として出発する」を引用することも忘れてはいない。中村によれば、指を強化するために牧場を買って多くのウシの乳搾りに励んだ名ピアニストがいたそうです。確かに、とても凡人には遠く及ばぬ発想ではありませんか。

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