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古版本を語る (国際基督教大学図書館 久保誠氏インタビュー)

写真/久保さん― 2005年春学期まで行われていた展示 『時空を超える「描かれた文字」』 と今回の展示 『活字のアウラ』 との違いを教えてください。

前回は主に彩飾写本と呼ばれているもので、聖書がほとんどでした。見た目の美しさが際立っていました。それに比べると今回の展示は地味に見えるかもしれません。写本というのは写字生と呼ばれた人たちが全て手書きで書写したものだったのですが、今回展示している古版本は活版印刷によるものです。

写本時代には羊皮紙が使われていました。1枚の羊皮紙を作るのに、子牛1匹を要したと言われていますので、大判の本100ページは50匹の子牛や羊の皮をなめすという大変な手間がかかっていました。古版本の時代になり、活版印刷術の伝播とともに広く流通した紙が本に使われるようになったので、作業能率も上がって本の大量生産が可能になりました。

写真/松山― 印刷技術が社会に与えた影響は大きかったのですか?

活版印刷がヨーロッパの歴史に与えた影響は限りなく大きいのですが、なんと言っても宗教改革の土台を作り上げたことだと言われています。グーテンベルクが1455年に活版印刷技術を完成させてから約60年後にルターの宗教改革が起こるのですが、これは今まで一部の限られた場所にしかなかった聖書が印刷され、広く行き渡ったことが大きかったのだと思います。

ここで面白いのは、プロテスタント側だけではなくカソリック側も活版印刷を大いに利用していることです。たとえば当時、贖宥状(しょくゆうじょう)、一般的には免罪符として知られているものが教会によって発行されていたのですが、これも活版印刷によって印刷されているんですね。新旧、両勢力が活版印刷術というテクノロジーを大いに利用したということですね。その後ヨーロッパは宗教戦争に突入していくわけですけど、印刷技術はプロパガンダを支える技術としても不可欠だったと思われます。実は日本も例外でなく1582年日本からローマに派遣された天正少年使節は日本の存在をヨーロッパに知らしめるというイエズス会の思惑もありましたが、キリスト教布教用の書物を印刷するために印刷機を持ち帰ることが大きな目的であったことが知られています。

― 宗教以外の面での影響は?

写本はおもに修道院などで作成されていたため、聖書・時祷書 (じとうしょ) などキリスト教関係の割合が多かったのですが、既に中世ヨーロッパに存在した大学で使われた書物も活版印刷として刷られるようになりました。1470年フランス・パリのソルボンヌ大学では学内に印刷所が開設され印刷家たちも常駐するようになりました。そこでは主にラテン語で書かれた古典や人文主義関係の書物が多く印刷されました。余談になりますが、15世紀の印刷家たちは古典を印刷する際にカロリング朝の教育改革時の写本字体をもとにして多くの活字体を創作していった事が知られています。活版印刷時代よりはるか昔、8世紀のカロリング朝時代、写本に使われる字体 (筆写体) の改革が行われた頃のものです。またその時、教育改革も行われ、7自由学芸が制度化されました。7自由学芸 (septem artes liberals) とはリベラル・アーツ (liberal arts) のことです。

― 印刷技術についての話をしてください。

印刷技術は時代によっていくつかに大きく分類できます。まずグーテンベルク、1455年以降1500年までのインキュナブラ(揺籃期)と呼ばれる時代。つぎに1500年代から1830年代までの古版本の時代。それから1830年代から現代まで。おおまかにこの3つに分けられます。

紙についていうと、1830年頃、産業革命の成立以降は、大量生産されることになるのですが、それ以前の古版本時代の紙は、基本的に手漉きなんですね。よく子供による和紙の手漉き体験なんかがローカルニュースで見られますが、あれと同じ技術です。1枚1枚違った風合いがありますし、実際触った感触も柔らかくて暖かい感じがします。この手漉きの工程でウォーターマークと呼ばれる「すかし」が入るんですが、このすかしのページ内で現れる位置や方向が、古版本の判型を見分ける上で重要な役割を果たしています。

― 活字はどうですか?

ヨーロッパではグーテンベルク以前からも木製の活字いわゆる木版はありました。また、東洋では西洋よりもっと古くから木版印刷が行われていたのです。しかし木製だと磨耗が早く、加工するにも限界が多かったので細かい表現には向いていませんでした。グーテンベルグの金属鋳造活字の画期的なところは、鉛・錫・アンチモンの合金を採用したところです。これにより、加工のしやすさと丈夫さ、インクののり、鋳造過程での伸縮率の低減を実現したところです。

― 合金と聞くと錬金術を思い出してしまうのですが…

そうですね。グーテンベルクの時代には金属加工をする技術はすでに発達していました。彼自身はドイツ・マインツの腕のよい金細工師でした。職人たちも金属の扱いに慣れていたと思います。その下地として錬金術の系譜も考えられるかもしれません。

― 古版本時代の印刷工程のポイントは?

まず、植字工たちが1文字1文字活字を拾って並べていくことから始まります。 2~3行程度並べたらGalleyと呼ばれる板(ゲラの語源)へ移し、また次の数行を拾います。この積み重ねで1つの組版を完成させます。活版印刷で私が大変感銘を受けるのは、ジャスティフィケーション(行末調整)が非常にうまくできている事です。コンピュータですと字余りの部分を自動的に修正してくれるのですが、その当時は当然手作業で行いました。文字間の調整は絶妙で職人の勘に頼っていたのです。単語がどうしても行内に収まらない場合は、途中でスペルを省略形にするなど工夫の後が見られます。そういった技を経て出来上がった紙面は美しく、コンピュータで作られた紙面にはない人の手だけにより与えられる感動がありますね。

― 今回の展示の見所を教えてください。

今回の展示は、古版本の中でも辞書にテーマを絞ってみました。A から Z に語彙が配列されている辞書は、今日のデータベースの基本だと思います。また、中に一点だけ「日本語文典」と呼ばれている種類の辞書を展示しています。これは17世紀キリシタン時代にローマで印刷されたものの複製ですが、日本での宣教活動に必要とされる日本語の知識をまとめたもので大変貴重なものです。先日、筑波大学で「日本語文典」の実物を目にする機会を得たのですが、多少紙の色合いが異なっているだけで、展示している複製版は非常によくできているものだと思います。

― なるほど。では、ここでは全てを語るのは難しいと思いますので、近いうちに行われる講演の方で久保さんから古版本の世界について、詳しいお話を伺いたいと思います。ありがとうございました。

久保誠氏による、古版本の自由参加型レクチャーを2005年12月に予定しています。詳細が決まり次第、図書館トップページでお知らせします。どうぞお楽しみに!

お詫び:久保氏によるレクチャーは延期になりました。2006年4月を目途に準備中です。予定が決まり次第、トップページでお知らせします。しばらくお待ちください。(2005年3月17日)

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