星野温泉山荘内書斉に於ける内村先生

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[説明]
1929年(昭和四年)自七月二十五日 至九月十六日 星野温泉山荘内書斉に於ける内村先生
星野温泉は、先生が大正十一年八月以来夏期幾度か休養せられし所であるが、今回は最後の事となった。 当時私は柏木なる内村邸の留守番を仰せ付って日夜緊張してその重任を守って居った。
適ゝ、先生の目下御苦心中の一つの問題が解決の曙光現われ来ったので、一刻も早く先生に報ぜんと、 九月六日独り星野山荘に先生御夫妻を訪ねて具さにその要旨を伝えた。先生の喜悦満足は一と通りでなかった。 早速私は廊下につながる別館(明治の初年グラント将軍来朝の節、その宿泊所として仙台に新築せる洋館を譲り受けしもの) に導かれ大方卓に先生と対坐した。
先生は世界地図を繙きロマ法王のバチカンの現状を歎かれ、又柏木の集会の実状に心をいためられた。 次に窓外に視線を転じ、緑の森と秋草の美とを賞し、野鳥の歌と小川の水音に耳を傾けて自然界の荘厳と調和とに 私の鋭敏なる注意を促された。時将に正午。
勝手口より伝わり来る静子夫人の声に応じ、パンの昼食を共にするを許された。
時の迫るに及んで私は辞し去った。時に沓掛駅頭まで徒歩態々見送られし先生の懇ろなる好意を感謝しつゝ 上野行列車に乗り午後一時先生に別れを告げて帰途につき、碓永トンネルは祈の間に過ぎた。(斎藤二荊野人記)