花と道-理想というもの (1978年度国際基督教大学入学記念講演)
斎藤和明
「花と道」という題をつけましたとき、2ヵ月ほど前のことであります。ちょうど、この入学式のころと申しますと、教会堂の前のところからずうっとむこうの方までは花道になっているはずでありまして、 桜の花道を通って皆さんがここへこられる、 まことにおめでたいことで、 大学入学という人生の門出を祝すのにふさわしい花道ができていると感じるに相違ない、 と考えていたわけです。 それが今年はどういうわけか、その、桜の咲くのが遅いもんでして、まだ4、5日は咲きそうもない。で、予定が狂ってしまいまして、それで、ええ、どうもその、今日の話、最初からつまずいているようなものであります。
ところで「花と道」という題をつけましたが、実は特に桜並木がなくてもいいわけなんでして、大学入学当時というのは、誰でも世界がまぶしく感ずるものであります。これからのちは、だんだんと下り坂になるなんてことが、 どうもありそうに思えないという、 絶頂の時期のことを、 よく 「花道」とか「花道に立つ」と申します。大きく開かれた未来へむかって出発する人生の花道に立っているのが皆さんです。ところが、だいたいの方は、心の奥底に何か不安を感じておられるのではないでしょうか。不安がどこかにただよっているということに気づいているのではないでしょうか。自分はこれからどうなるのかまったくわからない。そういうこれからのことを問いただされますと、何となく、こう、現在自分が花道に立っているという気がしない。自分がいま花道であると思っているが、その花道は見せかけのものであって、ほんとうの花道ではないというような気がするのだろうと思います。中には、 もう、 自分の花道というのは小学校の時であった、 あの時分が花で、 天童と呼ばれたりして、あとはだんだんと下ってるようだ、 とひそかに考えて、 ひとにはそうは言いたくないと思っているひともいることでしょう。
受験の際の願書には、いろいろと将来の理想というのが書かれています。国際性を生かせる職業につきたいとか、経済界で活躍したいとか、または、特に英語の世界で活躍したいとか、中には、大学時代は自分の理想というのを模索する時代である、4年間で私は理想を探したいなんていう、これは非常にうまい書き方で、そう書いておけば、何となく、こう、先生のほうでも、ふふん、なるほどこれはよく深く考えてるらしいと思ってくれはしまいかと、ええ、将来の自分をICUで発見したいなんて書きますと、実は通訳やガイドになりたいなんていうのを書くよりは、何となく、こう深い、深みのある自分が印象づけられるのではないかと思われる。しかしこれ、わり合いに誰しもが考えている陳腐なことで、実は私も考えていましてね。そこで自分自身のことを思い出しましたが、私は、前から英文学を勉強したいときめていたのですが、ちょうどICUの願書を書くころ、将来保証人になっていただく友人のお父さんのところへ相談に行ったことがあります。すると、お前はいったい何になりたいのか、正直に言ってみろ、適当な答じゃなくて、心の底で考えていることを言ってみろと言われました。私たちの人生にはさまざまな時期がありまして、それぞれの時期に、できればこうなりたいなってな願いを抱いているものです。そして、それがその都度別なものになるときがあります。ところで、その前の日に私は、ああ、こういうひとになりたいなと思ったことがあって、突然そのことが思い出されたのです。 それは、 上野の不忍の池のほとりで屋台のラーメンを食べたときで、 非常にラーメンの味がうまくて、 ああ、 こういうラーメン屋さんになりたいな、 なんていうふうにええ、ちょうど折りしも冬でした。願書を出すころ。冷めたい風が不忍の池の面をひたひたと、こう、渡りまして、寒い寒い冬の夜にあったかいラーメン。それで、ラーメン屋のおじさんが言うにはですね、自分は、そのラーメンの元祖の直系だ。だから特別うまいんだっていうんですね。で、ラーメンてのを知ってるか。あれは中国にはないことばなんだよ、日本でできた。中国料理だと思ってるだろうけど日本のものだ。あれはラーさん、柳という字ですが、というひとが元祖だと、この池のあたりで夜なきそばをやっていたそのラーさんのそばがうまい。それでラーさんの作る麺だからラーメンと呼ばれるようになったのであるというような話を聞いたりしまして、 それでこのラーメンああ、だんだんと入学記念講演から離れて……。私の理想とはそういうことだと申しましたら、いや、そんなんじゃだめだと言われそうですから、つまりわざわざ大学教育を受けるからには、ラーメン屋になるっていうことより、もう少しうまいことを考えるべきだっていうようなことを言われるに相違ないので、別なことを理想に。で、大学で自分自身を見つめて、ほんとうの理想を見つけたいなんてえことを言ったりして、 確か、 私は、 自分の願書には、 あらゆる問題に疑問符をつけることをしたい、 なんてなことを書いてるんです。まあ、いずれにせよ、昔は、その、尊敬する人物は誰かなんていうようなことをよく聞かれたもんですけれども、そういう際には、ICUにくるからには、内村鑑三って言ったほうが有利である……っていうようなことは、決まり相場としてありました。けれども、どうも、最近の入学願書を見てますと、ずいぶん、この、理想像っていうものがばらばらになっているっていうことを感じます。その、いまの学生たちとつきあった限りでは、理想像がばらばらです。私が学生だったころ、ちょうど20年くらい前、卒業したわけですけれども、入学したのは、だから24年前で、時のたつのはほんとうに早いもんですよ、つい2、3日前のような気がしますけどねえ、あっという間に24年たってしまいました。あのころ、深刻になることこそ大学生であるという考えが流行っていたんです。だから、あまり笑ったりしているとまずいんですね。大学の中、歩くときでも、深刻な顔をして歩いていたもんです。それですから、理想とは何か、考え合ったりしまして、それ、お前の理想、それはまだ陳腐である、もっと大きな理想を持たなければいけないっていうようなことをお互いに批判しあったりして、中にはおれには理想がない、理想を見出だせない、なんていうことを、頭抱えて言ったりして、食堂なんかへいっしょに行くわけですが、そういう悩んでるのに限ってずいぶん食べたりしてね。深刻な奴に限ってよく食べる。そんなようなことを、あのころ感じましたけど、そのころに比べますといまは明るいですよ。あの時分に比べると笑いが多いです、ICUには。笑いに満ちてるという日もあります。ところが、人間の理想っていうのが、その、共通した理想像っていうのが、なかなか見つけられないという時代だと思うんです。ほんとうにお前の尊敬するのは誰か。 そうたずねられるとまだ出会ってないっていうことを言う学生が多いだろうと思うんです。
さて、そういう問題について、実は明治39年に夏目漱石が同じことを書いている。ちょっと、その年のある夜、漱石が書きつけた文章を、これ、全集では「断片」の中にはいってますが、読んでみます。「現代ノ青年ニ理想ナシ。過去ニ理想ナク、現代ニ理想ナシ。家庭ニアッテハ、父母ヲ理想トスル能ハズ。学校ニ在ッテハ、教師ヲ理想トスル能ハズ。」ここは、ICUの場合、そうじゃないです。だいたい、オリエンテーションの最初に、私がここへ出させられたというのは、まあ一番最低の者を見せておいて、これからだんだんだんだんと出会うひとがすばらしくなるのをわからせようという、その、学生部の深い、なんというか、配慮によるわけです。しだいに、あなたがたは尊敬すべき先生に出会うことになります。ところがです、漱石はこう言ってるんですね、学校へ行っても教師を理想とすることはできない。 「社会ニアッテハ、紳士ヲ理想トスル能ハズ。事実上 彼等 [現代の青年に] ハ理想ナキナリ。父母ヲ軽蔑シ、教師ヲ軽蔑シ、先輩ヲ軽蔑シ紳士ヲ軽蔑ス。此等ヲ軽蔑シ得ルハ立派ナ事ナリ。但シ、軽蔑シ得ル者ニハ、自己ニ自己ノ理想ナカルベカラズ。」つまり、軽蔑するからには自己の理想があるはずだって言うんですね。 「自己ニ何等ノ理想ナクシテ、 是等ヲ軽蔑スルハ、堕落ナリ。現代ノ青年ハ滔々トシテ日ニ堕落シツツアルナリ。」
青年の理想ということについて、いまから70年ぐらい前にそう言われている。その当時から青年が日に日に堕落しているのだとしますと、いま時分どれくらい堕落したか、だいたい、これ、見当もつきません。現代の若いのは堕落したっていうこと、そういうことは、いつの時代も言われてたんです。この漱石の時代もそうです。
理想がないということ、 その理想とは何かということをもう一度思い起こして、 さらに自分にとっての理想っていうものは何かということを考えて、 またさらにはその自分の理想を持っていただきたい。まあ、私、まじめに、ここから皆さんに語りかけたいということがあるとすれば、そういうことを今日は言いたいわけなんです。自分の理想を持て、それがもしないならば、理想を軽蔑する資格なんぞない、そういうことを言いたい。
ところで、 「花と道」 という題のことですけれども、 実は、 世阿弥という、 まあ、 これは古い人で14世紀、15世紀に活躍した、 能楽の創始者ですね、 「風姿花伝」 っていう本を書いてますが、 その世阿弥の、「花」ということばについての考えを、頭においていたわけなんです。「花」というのは、能の世界での理想を意味しています。さらに世阿弥の花にいたる道を説いた著作が、1420年に書かれていまして、その「至花道」という本のことから「花と道」という題を選んだわけなんです。これを読みますと、能の最高の境地を身につけるということを、花を身につけると表現してますが、その花にいたる方法が書かれています。 花を身につけるというのが能にとっての道です。 だから、 その道を理想としますと、花を身につけるというのは、その理想を達成することと考えられます。能の世界では、能楽者が能楽をしっかり演じられる、身につけるようになることを、花を身につけると言います。能の理想にいたる道を、世阿弥は説いておりますが、世阿弥の能は、人間が人間らしくなることと考えられます。で、それの根本的な要件、条件というのは、稽古なんです。稽古というのも、またこれを、大学での学問と置きかえて考えますと人間らしい人間になるという理想を達成するためには学問をして苦労しなければいけないということを言ってるように聞こえます。
世阿弥は、ジェフリー・チョーサーという、英文学の傑作「カンタベリー物語」なんかを書いた詩人が生きてた時代に、生きてた人なんですが、たとえば「風姿花伝」の中では、まず、自分が言い残したい教訓を一言でまとめるならば、こういう2つの条件を満たせばいい、つまり、まず第一、好色・博打・大酒、この3つをやめろって言うんですね。それらの楽しみを諦めなさいっていうことをまず書いています。この道にいたらんと思う者は、あっさりと、この3つの戒めを守れということです。それからもう一つは、 「稽古は強かれ、 情識はなかれ。」 そう書かれています。 稽古は一生懸命、 きびしく、よくやれっていうことですね。つぎの「情識」というのは、これはコモン・センスという意味の常識ではなくて自我、 強情を張るということです。 我慢情識ということばがあります。 自分が慢心をしてしまう、自分が威張る、プライドを持って他人を顧みないことを、我慢情識という。「我は完成していると思う心」を捨てなさいという意味です。
世阿弥は、7歳から、ずうっともう80歳になるまでの、この段階ではこういうことをしなさいっていう花にいたる道を教えていて、 皆さんの17、8歳ですが、 このころは、 まだほんとうの花を身につけるにはいたらないのです。その17、8歳のころは「このころはあまりの大事にて」―この時期は非常にむずかしい時期だと書かれています。これ、現代語にしてみますと、この年ごろはあまりに重大な困難な時期で多くの稽古を望んでも無理であると、そういう意味です。この、稽古っていうのを学問に置きかえますと、この時期というのは問題が非常に多すぎて、学問が、その、急速に進歩するということを望んでも無理である、進歩しないために、やけくそになったりする時期であると読めないこともありません。なぜかというと、まず第一に、声が変わる、自分が変わってくるっていうことがわかる。 12、3歳のころにあった生まれたままの美しさという花がなくなってしまう。 かつての声や姿がかわいらしくて美しく華やかであった、 ところが、 いまやそれらが変化してきている、すると本人も意欲を喪失してしまう。意欲を喪失するのみかその上、観客もおかしそうにしている気配が見えるので、ばかにされているようで、恥ずかしさを感じたりして、あれやこれやで嫌気のさしてくる年ごろなのであるというのが17、8歳。ところで、そう言えば、ここには大学院の新入生もおられる。24、5歳ですか。その年齢のところをちと読んでみます。24、5歳、この年ごろ、まだまだまことの花にはなっていない。一生涯の芸の基礎を固める最初の時期である。であるから、このころの稽古こそ、これ学問に置きかえると、このころの学問こそ、人間の生涯をきめるものである。 今朝の中川学長のお話のようなことを1400年代に世阿弥も言ってるわけですなあ。
「風姿花伝」(別名「花伝書」)にはそんなことが書かれています。「至花道」のほうですが、これを、はしょって短く要約致しますと、やはり理想にいたる道、その方法、花への道を見つける方法を書いてます。それの基本としては、よき師を見出だすべきであるということ、そのことを記しています。なぜかと言うと、ええ、一生懸命、木に登って枝を捜しまわって魚を見つけようと思ってもそれは無理であると、魚を釣るには池に行くのがあたりまえと、孟子のことばなどを頭に置きつつ、世阿弥は、基本的なものは師によってしっかりと教えられなさいと記しております。ところでICUという大学はそういうところですから、これから最初の1、2年なんていうのは、もうしつっこいくらい基本的なことを教え込まれる、でしょう。しかし、それは、基本なんであって、重要です。そして基本を通して自分自身の花というのを見つける。しだいしだいにそういうことになる段階の一つであるということをお考えいただきたいと思います。世阿弥がもう一つ言いたいと思ってることは、「無主風」ということです。ムというのは、無い。シュは主人の主。自主の主。フウは風。それは真似するだけで自分のものになりきっていないという意味です。 先生の真似をしても、 自分自身がない場合のことを戒めてるんですね。その芸は見ててつまらない。お前たちは自分自身というのを持たなければいけない、基本を通し、基本の稽古を通して自分自身を見つけるようにしなさいということを言ってます。そうでなければ、花は花とならないというんですね。ですから、世阿弥は、稽古で、基本型というのを弟子にたたき込みながら、自分しかない、かけがえのない自分の芸というのを持つように心がけなさいということを教えているわけです。そのことからも大学生活を通して、いろいろな理想があるでしょうけれども、自分にとっての理想というのを見つける、そういうことになる時期に大学の日々をして頂きたいと思うんですね。ところで、理想ということばについてでありますが、考えてみますと、 「理想」ということば、 これ、 なかなかぴんとこないことばです。 だいたい、 「理」とか、「想」の単語自体が、あまり、この大和ことばでないんでぴんとこないですね。「理」というのはことわり。 「想」というのはおもい。 ばらばらにじっと見てますと、 その理想っていう字が二つにわかれてきまして、何を言ってるのかわからなくなってくるでしょ。やさしく言うと、大和ことばでは、考えどおりになるとか、思いどおりになることっていうふうになると、私、思うんですね。これは無理です。 思いどおりに世の中いくということはまったく無理です。 自分自身、 いままで、 いやっていうほど、世の中思いどおりにいかなかったなどということを感じてきたでしょう。で、問題は「自分の」の自分というのが、どういう自分であるか、どういう自分になるかということが大切なんで、いま生きているこの自分が、思いどおりにうまく地位を高めてゆく、金をもうけてゆくということではなくて、 これから自分自身を高め深めてゆきたいという心が大切なのであります。
世の中とか自分の才能とか、まあ、自分の考えや思いどおりに動かしたり伸ばしたりちぢめたり、できるものではありません。だから理想は捨てたほうがよい。という考えに、疑問符をつけていただきたい。 自分の未来を設計してみたが、 その理想、 はたしてそれでよいのか、と再検討して、いまの自分の理想に疑問符をつけて、 より大きな理想へむかうように皆さん毎日、 心がけていただきたい。そう私は願っております。そのことは、人間として不完全な自分自身を知り、 より完全へとむかってゆく毎日をすごす生き方をしてくれということなんでして……。 と申しましても、 自分の理想をいったん持っても、すぐくずされてゆくという社会の中に私たちは生きています。理想がない社会に生きているのです。大きな理想はおろか、小さくとも持ちにくい。このこと、夏目漱石のころから変わらないんです。もっともっと、むずかしくなってきています。
問題は、小さな理想でも、そもそも理想なんぞ最も持ちにくいという状態の中で、何かを自分自身は心がけてゆきたいと最も思えないような社会に生きているのだから、 どうして自分の理想を持てるか、どうして持っていない理想が高められるか、 ということになります。
このことは理想に対しての覚悟をきめる、ということに関係があります。それで、これから、最も理想から離れた場所で、最も理想なんか持てっこないような状態の中に置かれていながら、理想を持って生きた、ひとりの人間のことをご紹介いたします。それで、そのひとの持った理想、それを、私たちもごいっしょに考えてみたいと存じます。
アーネスト・ゴードンというひとのことでありますが、「死の谷をすぎて」という本の中に捕虜収容所に入れられていたときの体験を記していて、これが一昨年、日本語に翻訳されまして、なんとこの私が翻訳者なんですねえ。ええ、自分の翻訳した本とか、書いたこととか、自分の関係している仕事についてとか、こう、ひとに話をする宣伝するてえのは、ほんとうは最低のことなんです。自分が関係していることっていうのは他人に語らせればいいんであって、本人は、奥ゆかしく黙ってるべきなんです。それでも敢えてなぜ語るか。さきほど申しましたように、これからあなた方は、しだいしだいに、毎日々々、尊敬すべき先生に、このICUで出会って行くので、いま最低を見させられてるってわけでして。それが一つ。それから、これを翻訳をしてるうちにですね、自分から、自分の翻訳がだんだんと離れてきまして、自分がやってるっていうよりも、自分でない別な者の作品であるような気になって、これが自分の翻訳だということを忘れさせられますので、そういう気にさせる本なので、いま平気で語れるわけです。有名なクワイ河マーチなどで知られている、クワイ河の流域に、タイの、ある収容所の話です。
これは、 泰緬鉄道。 タイとビルマをつなげてインドに攻め込もうとする作戦が第2次大戦の日本軍にありました。この鉄道建設を突貫工事でやるわけです。最初の予定ではですね、泰緬鉄道っていうのは、重労働をつづけて完成に5、6年かかると推定された。それは、日本軍の技師が測って、5、6年かかると予測されたんです。それをなんと12ヶ月でやらされてしまった。それだけ大勢の捕虜を使い原住民を使った。多くの人命が失われました。1マイル、2マイルって言うと、だいたい見当つくでしょうけれども、 1マイルについて捕虜は64名死んでる。 それに現地の徴用者、 タイ、 ビルマなど、インド、 それからマレー半島のあたりから徴用された労働者が、 1マイルに240名死んでいる。合計三百数名が死亡する。鉄道は全長250マイルになる。そうすると、いいですか、その250倍なんです。残虐な鉄道敷設工事です。ですから、この捕虜たちは毎日死と隣りあわせで生きていたわけです。 そして、 捕虜収容所にいるのは連合軍、 おもにイギリス人ですが、 その監視をするのは日本軍、日本人で、その日本人ていうのを、その戦争で対面するまではまったく文明というものを知らない、 奇妙な人種だと考えていたのです。 自分たちのほうが絶対に文化の上でも有利だと思ってたイギリス軍が、捕虜になる。それで、日本軍の捕虜になって1年、2年たちますので、敗北感、挫折感、収容所をさまざまな失敗の意識が覆ってゆきます。そして、脱出をしようと思うんですけれども、まわりにはジャングルという壁が囲んでますから、 絶対に抜けられない。 毎日毎日、 捕虜たちは朝早く起きて強制重労働させられる。肉体の限界まで働かされる。そういう苛酷な労働に加えて、食糧不足がある。捕虜たちは過労と栄養失調で倒れます。それでも鉄道を予定どおりに完成させるため無理やりに働かされている。そのうちに、伝染病が収容所の中を襲います。大勢の人が熱帯病におかされて死んでいきます。で、特に、読んでいてショックを受けると思いますのは、西洋文化に育てられた捕虜たちが無気力になるんです。 いくら無気力になっても、 西洋文化という精神的な支えがあるはずだという自信が、捕虜たちは最初のうちは、あると思ってたんです。いくら捕虜になっていても、日本軍に痛めつけられても、われわれにはキリスト教があるっていうので、宗教心のリヴァイヴァルが起こった。そのころは、こちらには宗教の支えがあるから動物のようにはならないという自信があったんですね。ところが、しだいしだいに戦いが激しくなり、労働が激しくなり、さきゆきが不安になってきますと、 それは、 神というものを、 ただ単に利用している宗教でしかなかった、 つまり早く救ってくれという、自分の思いどおりになるようにという祈りの対象にしていたことがわかります。救われないという現実が毎日つづきますと、もう既に神を捨ててしまっているわけです。特に、自分の理想がないとき、 脱出の望みがないとき、 相手が自分より有利で得をしていると見えてきます。 夜、夕食のために長い列を作って、1人ずつ、食事を容器に入れてもらうわけなんですが、自分のより隣の奴のほうがちょっと多いなっていう気がするんですね。そして、お粥みたいなものを入れてもらえるわけですが、自分のは上のほうをちょいとすくっただけである。隣の奴は下の方まで柄杓がはいっていた、栄養価は高いようである、というふうなことが気になる。そうすると、隣の者からものを盗むということが起こる。いがみ合ったりする。憎しみあったりするということになります。死んでゆくものが1名でも増えれば、それだけ食事の分配量が増えるというので、悲しむどころか喜ぶようになる。自分といっしょの班で働いている相手が倒れたり病気になったりすると、そのためにその友人の分まで働かされるということになりますので、その病人を呪いこそすれ、看病ということはしません。
肉体が苦しめられ、脱出の望みがない収容所というところに置かれますと、いかに西洋文化の支柱というものが、もろい弱いものか、自分を支える力になり得ないかということを著者のゴードンたちは経験します。 連合軍の捕虜はそれぞれ、西洋文化に生きて育って、 哲学がある、 芸術がある、 宗教がある、という自信を持っていたのであるが、あっという間に持ち物のすべてを盗まれたとたんに自分を育てた西洋文化を呪い出す。捕虜たちは凶獣のような顔で、たがいにいがみ合っている。そしてやがて、憎しみ呪いあう気力すら失われてゆきます。
ところが、こういうような収容所が、しだいに変化してきます。これほど無気力な改善の望みのない収容所が変化するとなれば、これはもう既に、奇跡です。ゴードン自身も病気になります。「死の家」という所に追いやられる。ここから帰ってきた者はいないという、まあ野戦病院なんですけれども、全く設備が悪い場所に、ジフテリアにかかって隔離される。コレラも流行ってきます。で、そこへ、誰も自分を看病しにくるという者がいなかったところへ、突然に、昔知っていたひとりの友人と、もうひとりは全然見知らぬ農村出身の若い兵隊が、手伝いにきてくれる。食物を持ってきてくれたり、潰瘍にかかって体じゅうがうみとかさぶただらけなんですが、布を持ってきて温めて毎日のように拭いてくれる。マッサージをしてくれる。2人の看護のおかげで、死ぬはずだった自分が死なないですむということになります。
一度読んだら忘れられないところは、ある日のこと、労働が終わりまして、工具、シャベルやなんかが最後に点検されます。 50人ぐらいの班で、 その時に、シャベルが1本足りなかった。それで、きっとそのシャベルはお前たちがとったんだろうと日本兵は言います。シャペル1本で卵と交換するっていうようなことをお前らは考えてるんだろう。盗んだ者は前に出てこい。 と言いますが誰も出ません。それならば、この労働班全体を射殺するぞと言います。で、実際にそうやって射殺されたことが他の収容所であったという話が耳に入ってるんです。ですから、おそらくこれはやられるなと、みんな思います。監視兵は捕虜たちをひと渡り眺め左端から射殺しようと狙いをつけた。その時、ひとりの捕虜が前に出て、私がやりましたと言います。穏やかな声で。すると、日本兵は、怒りを一気に爆発させた。彼は捕虜を蹴とばした。なぐりつけた。銃の銃尻でめっちゃくちゃに殴る。その場でたたき殺してしまうんです。労働班はその戦友の遺体と用具をかついで収容所に戻って参りますが、その門衛のところで、 もう一度点呼されてシャベルが数えられると、 1本足りないはずなのが全部そろっていた。結局日本兵の数えまちがえであったということがわかります、すると、捕虜たちは、いったい、あいつ、なぜ死んだんだろうかという、そういう疑問を感じまして、仲間の行為があちこちで語られ問題になってきます。殺されたのは、自分たち全員が射殺されるのを救うために、自分ひとりが犠牲になってくれたんだということがわかります。その自己犠牲の行為に対する賞讃の念が日本軍への僧悪を超えてつよかった。
そういういくつかの行為がきっかけになりまして、自分たちは自分だけがよければよいと、そう思って生きてきたけれども、 それではいけない、みんな同じ仲間なんだという意識が生まれ、 同じ仲間同士をいたわる、 自分がどうなってもいい、 ほかの者が生きてくれればよいといういたわりの心が生まれてきます。それで、何人かの捕虜たちが、改めてですね、イエスという人間のことを思い出したわけです。イエス・キリストは、他の人間のために自分を犠牲にしたっけな、と。日曜学校時代からそう教わってきてるけれども、あのイエス、いったい、どういう人間なのか、もう一度考え直してみたいというグループが出てきます。合理性を信じ、宗教心をばかにして、ひややかな心で周囲を観察していたゴードンも変わります。無気力から他のひとびとへの思いやりを持つようになります。そのゴードンを中心に、新約聖書の中に出てくるイエスの生涯と行為を、最初から、はたしてこれは自分たちにどういう意味があるのかということを考えだします。こっそりと竹藪でそういう勉強をしますから、竹藪集会っていうのが生まれる。それがきっかけになりまして、だんだんと仲間が増えて、教会ができるんです。これは建物はない。竹藪の中にありますから、「壁のない教会」と呼ばれる。 そして、 その集会が発展しまして、 しだいしだいに、 同じ仲間を新しい眼で見直すようになる。ずいぶん才能のある人間が仲間にいるんですね。たとえば、ロシア語のできる人間がいたりする、ラテン語が得意だとか、サンスクリット語やギリシャ語ができるのがいるとか、それから、昔はこれは工科系の勉強をしてきたとか、 法律をやってきたなんていうのがいる、 お互いに対する興味がでてきます。 すると、 その捕虜たちの多くの才能をここで生かそうということになりまして、 収容所内についに大学を作ってしまう。これも建物なし。で、本当の教育というのは、ああいう建物のない大学から出てくるんだと、そういうことを、私たちは、ここを読むと、確信させられると思うんですね。ICUは、建物はたいへんりっぱですよ。ですけど、建物がりっぱだったら、こういう経験をしたひとはどう思うか。建物がりっぱだと中味が大したことないんじゃないかと思うだろうと思うんですね。ですから、いい建物に入れば、それだけ危険なんです。建物のない貧弱なところで教育をやってますと、中身はいい教育なのだ、みんなはりきって、外側はまずしいがというふうに、寺小屋みたいなところで勉強してると、まわりでは思ってくれるかも知れない。けれども、設備がよいと、必ずしも内容はよくない、というふうに思われる。だから、環境や設備がよければそれだけ責任が重いということを考えておいて頂きたい。まあ、そういうことで、大学を作る。カリキュラムを作る。入学式なんてやらなかった。教養学部が生まれ、真剣に飢えたようにクラスに出る。それで、これまた建物なしの図書館ができます。中には、趣味の園芸なんていうのをやりだす者もいる、薬草作りなんていうのをやるのもいる。いずれ捕虜が終わったら会社を建てるなんていうのは、経営者になる勉強をしたりする。船が好きなのは夢のヨットの設計をしたりするとか、木彫をやったりするとか、芸術活動がさかんになってくる。 というふうに変わっていく話なんです。
このような気力のないひとびとが活力にあふれることになりますが、何も周囲の状態が変化してきたからではなくて、むしろしだいに、日本兵の監視の目が厳しくなる状態で変わってゆくのです。この収容所の中で生きたさまざまなひとびとのうち、それほど印象づけられない人物かも知れませんが、ドッジャー・グリーンという名のひとが登場してきますので、そのひとのことをここで紹介したいと思います。つまり、忘れがたい人物がほかに何人も出てくるという意味です。
このグリーン、かつてはゴードンの部下でした。彼の人生というのは生やさしいものではなかった。青年期までは孤児院で過ごしていた。普通の一般の家庭っていうのは、にぎやかさがあるし、時にはもめごとがあるし、親からの小言がある。そういうものが絶えないものであるけれども、それらはまとまって家庭というものの温かさを生み出すのだ。しかしながら、彼は家庭の温かさを味わうことなく幼少年時代をすごしてきた。つねに悲しげな影が彼のまわりにただよっていた。そのことが、私にはいつも気になっていた。 彼はぎすぎすとした態度をとっていた。 そういう過去を隠そうとしていたんだ。とゴードンは観察しています。その彼がある日、ほかの収容所からこの収容所にやってきたんです。「やあ、元気かい。」「いえ、実は腸に潰瘍ができてる、腸と腸がぴったりとくっついてしまって、壁と壁のあいだに穴ができてしまって……」と言うんですね。で、衛生兵の話では、もう手のほどこせるところは何もないそうなんです。彼はそう佗しそうに言った、悲惨な話であります。しかしゴードンは、ここにいれば、何とか、みんなの顔が見られるから、元気になるよと言って、慰めようとするのですけれども、彼はまったく絶望をしきっている。また彼の回復の望みはまったくない。そこで、自分は、アーネスト・ゴードンは、こういう望みをなくした人間に、自分が何をしてやれるか、何もないではないかと思うのです。しかし、毎日彼のところに行ってやる。ドッジャーのところに見舞いに行ってやる。そして本を貸してやったりする。おしゃべりをしていったりする。彼の方からやってきたりすると、まあそこへすわっておしゃべりをして行きなさいと言って、いろんなことを話するように心がけます。そうこうするうちに、心と心がしだいに通じ合ってきまして、「彼と私とは」―たとえば、こう書いてあります―「彼と私とはずいぶんさまざまなことを話した。―次第に話が移って人間について人間の行動について考えるようになった。 人間の生き方が決定されるのにはどんな要因が背後にあるのだろうか。ある行為にはどういう理由が裏側に隠されているのか。人間の独自性とは何か。」
やがて彼はゴードンの聖書を借り、新約聖書を読み進むようになります。これらの日々が流れるうちに、絶望しきっていたグリーンの顔つきは、しだいに明るくなってきます。そして、ある日のこと、「彼は私にこう言った。『おれも何か手を貸してやれることがないかと思って考えているところです。」…… そのうちに彼は奉仕の場所を見つけた―それはある意味で重大な仕事だった。 収容所内の最も汚穢な仕事であった。すなわち、潰瘍の手当で使ったぼろ布を洗うという猛烈な悪臭のともなう、不快感のともなう仕事である。」その、ひとが顔をそむけたがる仕事にドッジャーは自ら志願した。それから、きまった時間に小屋から小屋へぼろ布を集めてまわる彼の姿がひとびとの眼にはいるようになります。歩きながら彼は口笛を吹いていました。―「私はそういう彼を眺めながら、はっきりとこう感じた。この男にはもはや何のためらいも迷いもない、生きるということがどういうことであるかを知り得ている、と。彼は自分に残された時間の、そう長くないのを知っていた。以前、彼は、苦痛に堪えて生きつづけるよりも、どうせ死ぬのだから、早く死の時がくればよい、そう考えていた。いまは、 その残された日々を、 一瞬間ごとに力いっぱい生きぬいてゆくこと、 それが自分のなすべきことであると彼は知っていた。ドッジャーは変わった。彼は、新たに、いままで隠されていた才能を示しだした。彼には鋭敏な目、明晰な頭脳があった……」そこで、友人たちの困難を察知すると、それが実に早くて適確な察知のし方で、バケツを作ってやる、食器を失くした者には、ブリキの空缶から食器を作ってやる、 食欲のない者にオムレツを作ってやる……。 こういう仕事を通して、 捕虜たちを励ましつづけました。「その表情は1生懸命であった。その時の彼の姿からは、ひとりの幸福な、自分に残された時間に目的があることで充実した1日を生きている人間がここにいる、 という何か光り輝くものが感じられた。」 ゴードンはそう感じていました。ドっジャーは、自分の死が間もなくくるのを知って、その死の瞬間までほかの仲間のために働きつづけます。彼は収容所の中で倒れます。が、その死は周囲の者に、また読者に、お前はこのドッジャー・グリーンほど苦しんでいるか、という問を投げかけているようです。ドッジャーに比べれば、お前はまだしも健康ではないのか、このドッジャーに比べれば、お前にはもっと恵まれた過去があって、もっと恵まれた思い出があるのではないのか。それでいて自分の人生に不満を感じ投げやりな生き方をしているのではないか、自分の時間に目的を持って生さてはいないのではないか、 と彼の死は問いかけていると思います。
いまどき目的とか理想なんぞ無意味だ、青くさいことだ、ちゃんちゃらおかしいと考えて投げやりな生き方をする者が多い現代です。理想があっても挫折して、どうにも理想が生かされない社会に不幸にも自分は生きているようだと感じますと、かんたんに無気力になる人間に囲まれて私たちは生きています。ところで、そういう投げやりな、無気力な生き方をするのも人間性ならば、アーネスト・ゴードンのようにドッジャー・グリーンのように、たとえ投げやりになり無気力になっても不思議のないような、敗北感のみしかないようなところに生かされることとなっても、自分自身の目的を持って充実した瞬間瞬間を生き抜くという生き方ができるのも、やっぱり人間であります。どちらの生き方のほうが人間らしい、 魅力のある生き方でしょうか。 これは選択の問題です。 どうか、 充実した、光り輝く生き方のほうを選んでいただきたいと思います。投げやりな無気力な生き方を捨てて、目的のある生き方を選ぶこと、これこそが最もすばらしい理想です。そのほかの理想は、これに比べればかすんで見える。
最も理想が持ちにくいときに自分の理想を持つ生き方を選ぶならば、 そのひとの生き方はだんぜん、燦然と輝くはずであります。その理想を軽蔑して、ひとを蹴おとして自己の利益を守るような小さな、けちくさい理想を持って、凶獣のような顔つきをして生きるのではなく、ドッジャー・グリーンの示した、死を前にしていながら自分の生死をかえりみないで周囲のひとを助けつづける理想を選ぶようになっていただきたい。この理想こそICUという大学の教育目標です。
さて、 自分の時間に目的がある充実した生き方を選ぶ決心をしますと、 あるいは、 自分の利益にならない、自分が損をする犠牲になるような生き方を選びますと、ただちに、周囲の者の気楽な人生がうらやましく思えてきて、こちらは苦痛の多すぎる生き方で、いっそのこと理想なんぞ放りだしたらすっきりすると思えるものです。これ、誘惑と申します。そこで、この選ぶということには、覚悟というものが必要になってきます。覚悟など固苦しいと思いたくなる誘惑、それに打ち勝つ覚悟が。
理想がばかばかしい、理想があるので生きるのがつらくてしかたがない、と思えるとき、それでも理想を持つならば、それだけよけいにすばらしいことになりますから、何が起ころうと自分は理想を抱きつづけ、自分の日々に目的がある充実した生き方をしつづけるという覚悟を、たえず新たにする必要があります。世の中、乱れに乱れて、自分だけがよければよいという考えにみちみちた社会に生きているんですから、それだけつよく覚悟をきめておかなくてはなりません。その自分だけがよければかまわないということも、かなりむずかしくて、それがままならぬとすると、安易に、気力をなくす時代に、私たちは生きているのですから、よしやるぞ、という気持はたえず新しくしておく必要があるのです。
そこで、能の道を選んだ者にむかっては、世阿弥が、かえすがえす初心を忘るべからずと言っています。初心を持ちたてのころの自分は不完全です。その不完全さが、みっともなさが気になって、よし芸の道に精進しようと決意したことを思い返して、ますます道にはげむ覚悟を新たにしろ、という意味です。「至花道」の結論の部分では、能の本質を花にたとえ、外側の表面的なものを匂いにたとえ、こう言っています。よくよく本質を心得たならば、心得たとすれば、外側のほうもおのずからあるべしと、つまり、花があるから匂いがあるのでして、匂いがあると花が咲いてくるのではありません。ということを、本質を充分に体得していれば、現象面、外側の表面的なよさも自然に生じてくるのだ、 と記しているのです。ICUという大学の外側を見れば、 社会に有名になる面が目立ってきます。その目立つところを身につけたいと―たとえば、国際的な活躍をしたいとか、高い社会的地位につきたいとか―考えることが、 花ではなくて匂いなんです。 表面をいくら身につけようとしても、本質がないと結局、魅力のある外側も身につきません。匂いがあっても、匂いだけをいくら真似しても花が咲くことにならない。 だから、 表面だけを見て、 ああいうスタイルがよいから真似したい、 ああいう格好を真似したいというぐあいに、きょろきょろとするのはまちがい。表面のところだけを稽古すると本質が身につくというのは、そう思っては、それは勘違いである。世阿弥はそう教えています。
いよいよ、これから大学生活が始まりますが、ほんとうの自分、ほんものの自分の花を育ててゆくというふうに心がけていただきたいと思います。ほんとうに人間らしい、人間の尊厳を持った人間を作り上げることに心がけて欲しいと思います。そのことを心がければ、しだいに現象面も、ICUの現象面の特色も生まれてくるはずです。 ほんとうに人間らしい、 そういう人間が生み出される大学、そういう大学は近ごろあまりない。ですからそういう人間が作り出されれば、ICUは独特の、ユニークな大学になると思います。 それがこの大学にとっての花にいたる道です。
大切なのは、世阿弥の言っている、日々の稽古です。毎日、自分の花、自分の理想を生かすことについて、疑問符をつけ、その理想にむかって努める、自分自身を鍛練する、そういう決意を、この入学の時期に、 かためていただきたいと思います。 その決意というもの、 初心は、 たえず思い出されなければならないでしょう。だから、この日、入学式の日の決心とは、これから時々思い出して自分を励まし、 自分を向上させる、 そういうふうにして、最もその決心を持続しにくいときにこそ、理想にむかって前進しつづけていっていただきたいと思います。
斎藤和明 1935年東京に生まれる 1958年国際基督教大学人文科学科卒 国際基督教大学準教授(英文学) 主な著書・訳書 English Poems Pure and Simple (Kenkyusha,1972) モリス「光源氏の世界」(筑摩書房,1969) チルダース「砂州の謎」(筑摩書房,1971) ジャンプ「バーレスク」(研究社,1973) マッシスン「青い真昼」(筑摩書房,1973) ゴードン「死の谷をすぎて」〈音羽書房,1976)
「花と道-理想というもの」1978年9月1日発行 著者:斎藤和明 発行人:東京都三鷹市大沢3-10-2 国際基督教大学学生部 星野命 印刷:株式会社三幸印刷