ICU農場

ICU農場は1952年から1964年まで、現在の野川公園・武蔵野公園・自動車試験場にあった大学の牧畜・農作用の土地です。牛乳の生産販売を行うともに教職員・学生のための食糧補給元として機能しました。大学開学と時を同じくして始まった農場事業は、ゴルフコースへの転換を機に終焉を迎えました。

横浜港に到着したフレンドシップ号 (1952)

多くの家畜と農機具がカリフォルニアの農場主、グリーノー氏から寄付され、船便で日本へ運ばれました。写真は1952年9月23日、横浜港に到着したフレンドシップ号の様子です。

艀(はしけ)で荷揚げされる家畜たち (1952)

牛、羊、豚たちがフレンドシップ号から艀に移されて荷揚げされていきます。ジャージー種牛(牡牛1頭、牝牛14頭)、ホルスタイン種数頭(?)、サフォーク種羊7頭、デュロック種豚6頭、雛鳥600羽、農機具が届けられました。

アーネスト・グリーノー氏 (1952)

グリーノー氏 (Ernest E. Greenough) は 元カリフォルニア州マーセッドの牧場主でした。湯浅八郎の在米中、カンサス州立農業学校(Kansas State Agricultural College)時代の旧友です。ICUの農場計画に賛同し、ベン・ボビット氏とともに、ニワトリ、ブタ、牛、農機具を寄贈しました。

湯浅夫妻 (1952)

牛の様子を見る湯浅八郎と妻の清子氏。

集合写真 (1952)

関係者集合写真です。湯浅夫妻・グリーノー夫妻以外に、ハロルド・ハケット氏(右端:ICU初代財務副学長)、ロバート・ゲアハート教授(右から2番目:ICU初期英語学・音声学教授)が写っています。

農場の牛たち (1953年頃)

農場の牛たちの様子です。

農場の牛たち (1964年)

ゴルフ場計画が具体化してきたころの写真です。

ジャージー種の牡牛 (1953年)

1頭だけの牡牛です。手綱を持っているのは獣医の栗原正氏。

牛舎とその周りの風景 (1953年頃)

2枚目の写真、手前の2棟が家畜舎、奥のマンサード屋根(腰折れ屋根)は納屋(Barn)ではダンスパーティが開かれたことがあるそうです。

トラクターでの作業の様子 (1952年から1953年頃)

グリーノー氏から寄贈されたトラクターは、米国Oliver Farm Equipment Companyが1948年に生産開始した(?)農業用トラクターOliver66です。排気量2.1L、4サイクルエンジン。66S(スタンダード)と66R(Row Crop)あり。ICUのものは66R。戦後日本での乗車型トラクターの最も早い使用例の一つと思われます。運転しているのは宗像雅輔さん(写真1枚目・2枚目)、飯岡薫さん(3枚目)、丹治さん(4枚目)。トラクターに手をかけている背広の人物が初代農場長の池田国平さんです。

動物たちと人間たち (1952年から1957年頃)

1枚目に映っているのは鮎沢巌先生と学生たち。2枚目と3枚目、動物はいつも子供たちの人気者です。4枚目、はっきり断言できませんが写真の様子から鶏は白色プリマスロック種のようです。

収穫の時 (1953年頃)

農場最後の牛たち (1971)

1964年にゴルフ場ができてからも農場の一部はキャンパス内(現在の中近東文化センター辺り)で活動しており、牛乳は1970年まで生産され続けていたようです。1971年前後に閉場しました。