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紫陽花(アジサイ)(2016年6月24日)

◆ 幼稚園でやりました。小さい折り紙をややZ形におりさらに90度角度を変えて同様に折ると、「田」の字ができる。いろんな色で作った田の字を画用紙いっぱいに張って、葉っぱと茎をかけば、ほらアジサイの出来上がり。ついでにカタツムリとか雨粒とかを描いてね。長崎の旧市街地の丘に位置した園は鬱蒼とした木々に囲まれていつも湿っており、記憶には仄かなカビ臭さがつきまとう。地面も黒くひんやりとしていた。梅雨時は気が滅入るほど雨が降り、雨が降れば雨合羽に長靴を履いて登園した。入口の門柱に隠れるようにして立っていた桜の木の幹にあるとき巨大なキノコが生えたので、みんなですごいねと話し合った。いつもアジサイを見るたびにそんなことを思い出すんだけど、それってヘンかな? ま、フランスではマドレーヌ食べてトリップしちゃう人が偉人扱いされているらしいので、そんなにヘンじゃないと思いたいです。

◆ ところで、そんな記憶の中で登場するとおり、アジサイといえば長く(ククノッチの頭の中では)田の字がいっぱい集まっている花というイメージが定着していました。4枚の花弁をもつ花が毬のように球形に咲いているもの(ホンアジサイというそうです)だと。それがいつごろ知ったのか花の外側だけが咲くガクアジサイなるものを意識しはじめた。あれはずいぶん後になってだったと思う。すこし植物を知った人ならアジサイはヒマワリやタンポポ同様、小さな花がたくさん集まって一つの花のように見える「集合花」であることをご存知のはず。ガクアジサイの内側に集まっている小さい花たちは両性花と呼ばれるものです。虫眼鏡をもってよおーく眺めてみてください。一つ一つの花はちゃんと咲いていて、その中に可愛らしい雄しべ雌しべが立っているのが分かると思います。それに対して、大きく咲いている外側の花(実は萼が大きくなったもの)は装飾花と呼ばれるものです。中心の花はほとんど咲いていません。雄しべ雌しべはありません。ん? てことは、種を結ぶことのない装飾花ばかりが毬のように咲くホンアジサイは「どうやって増えるの?」という疑問が湧きますよね。いい質問です。えーと、基本的に増えません。増やすのです。誰が?

◆ 人間が、です。自分で増えていく能力がないんだから、人に増やしてもらうしかないんです。ICUのキャンパスにもところどころホンアジサイを見かけますが、例外なく人が手を入れたと思われる場所に限られています。つまりそこに植えられたということ。ホラ、ソメイヨシノ(桜)もバナナも人間と一緒に繁栄してきたんだし。綺麗だから、あるいは美味しいから人々に愛され、人間によって増やされて日本中に世界中に拡がったのだよ。ただ、ソメイヨシノの場合は江戸の植木職人が品種改良によって完成させたものが広まりましたが、バナナはたまたま種無しの株が「発見」されたものがどんどん株分けされて世界中に広まったらしいです。(ホンアジサイについては厳密に言うと両性花だけではなく装飾花にも稔性(種ができる性質)があるのだという報告もありやなしやで、もし稔性があれば種で増えたケースもあるかもしれません)。

◆ ハイッ、そこのアナタ。「えーと、と、いうことは、装飾花ばかりのホンアジサイよりも、両性花のあるガクアジサイの方が植物としては自然で、むしろ本家本元なんじゃないんですか?」「ピンポンピンポンピンポン!」(ト肩をゆすりつつ) 実は日本産のガクアジサイこそがアジサイの原種でこれが中国やヨーロッパで品種改良された結果、ホンアジサイとして逆輸入されたという説があります。そしてアジサイ属は今も新しい品種が次々に開発されており、多種多様な品種が存在しているのです。花のページ(紫陽花) でも、そこで疑問なのは、どうしてククノッチの幼少期からのアジサイのイメージがホンアジサイでガクアジサイではないのかということ。たぶんなんだが、園芸品種としてのアジサイ属の流行が、いつかの時点でホンアジサイ系からガクアジサイ系に移ったのではないかということ。これはいろいろ調べてみた結果、朝日新聞1997年6月5日朝刊の記事にたどり着いた。記事のタイトルは『野生種のアジサイ花屋で人気急上昇』この記事によると近年は派手な西洋アジサイ[←ホンアジサイ系でしょう]よりも清らかで野趣あふれ風情のあるガクアジサイやヤマアジサイの仲間が人気。「城ヶ崎」「隅田の花火」「七段花」「くれない」など名前もゆかしい。「西洋アジサイは派手になり過ぎて日本人の伝統感覚、自然回帰志向に合わなくなったのでしょう」とは日本花普及センター主幹の田村さんの言葉。確かに昔は花屋の店先で見かけるアジサイは例外なくホンアジサイだったように思う。ガクアジサイ系がいつごろから流行り始めたのかと思っていたが、案外最近のことなのかもしれない。

◆ もう少し詳しく調べてみると、アジサイは古く万葉集にも詠まれているにもかかわらず園芸品種としては戦前までさほど人気がなかったらしい。死者への弔いとして寺などに多く植えられたものが戦後観光資源として注目を集めるようになったことで人気が高まったとは某ブログからの情報なり。あと記事でも触れられているようにバブル以降に高所得者層から顕著になったと思われる和風文化の見直し傾向が、ガクアジサイ系の流行を後押ししたかもしれない。

◆ アジサイ人気の興隆についてはもう一つ発見があった。朝日新聞1990年6月8日朝刊『生きる力与えてくれた 野趣に富む花研究20年』 これはアジサイ研究の第一人者、日本アジサイ協会会長の山本武臣さんについての話。かつて自殺も考えたほどの人生のどん底にあったとき、心を和ませてくれたアジサイの花が救いとなって以来アジサイ研究に没頭。文献調査だけではなく自生のアジサイを探し回って全国の山々を踏査。記事掲載時点で山本さんの庭には250種以上のアジサイが栽培中とのこと。海外からも愛好家が訪れるまでに。山本さんの主催で1987年から2000年までの14年間、神代植物公園でアジサイ展が開かれたことも、きっとアジサイ人気に貢献したのだと思います。アジサイ博士の山本さん、『あじさいになった男』(コスモヒルズ,1997)という小説まで書いています。帯の文句は以下の通り。「人間社会に絶望し、生きることに疲れたひとりの男。人生を変えるヒメアジサイとの出会い。アジサイを愛し、アジサイに愛され…。ここに未来のヒントがある。日本で初めての人間を変えた植物小説」読んでみたい…

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