ヘッダーをスキップ

「エイ、エイ、オー!」は勘弁してください (2008年1月23日)

まさか自分が四十肩になるとは思っていなかった。いや、いつまでも若い筈がないとは分かっていたのだが、何となく自分はギックリ腰、痛風、中年太りなどの「大人の症状」とは無縁のような気がしていたのだ。しかしなってみると、なるほどこれは痛い。普通にじっとしている時には全く痛みはないのだが、何かの拍子に腕を上げたり捻ったりすると激痛が走る。肩の痛みとはいってもよくある肩凝りや寝違いのそれとは多分に異なるタイプのものだ。他の痛みに例えるなら、もっとも近いと思われるのは突き指か捻挫か。関節痛のような痛み。痛みは長い時には30秒ほど続き、その間無言で耐えなければならない。

四十肩になってから、生活の中で自分がいかなる時に腕を上げる動作をとるのか、に対してかなり意識的になった。高いところに置いてあるものを取ろうとする時。これは対象物の位置が高ければ高いほど、遠ければ遠いほど危ない。意外だったのは上着やシャツの袖に腕を通す時。今までは左から袖を通すのが常だったが、症状のある右側を先に入れるようにしないとこれも危ない。最初のうちは肩の事を忘れて、ついうっかり痛いポーズを取ってしまって、そのたび後悔する事を繰り返していたのだが、そこは人間。徐々に学習を重ね、痛そうだなと思った時は無理な姿勢をとらず、勢いをつけずにゆっくりと腕を上げたり伸ばしたりする様になった。すっかり学習ができてここ最近はあまり痛い目に会わずにすんでいたところ、先日長男とテレビゲームに興じていた時の事。ビリヤードの球を撞こうとして、ソリャーッと思い切り腕を前に出したとたん、目の前が真っ白に。しばらくその場でうずくまっていた。「想定外…」

全くできなくなることもある。まず両手を背中でタッチする(特に症状のある方が下)。次にY、M、C、A。特にYとA。(え、分からない?) 同じくモンキーダンス。(これも分からんか…) あとは「腰が痛いポーズ」 あの背中側へ手を回して甲の部分で背骨あたりをグリグリする動作。それからラジオ体操第一の2番目の両腕ぐりんぐりん。1番目のヤツはできる。肩の高さまでなら腕も上がる。でも2番目は決してできない。無理矢理やろうとすると、右側だけ先刻と同じ1番目の体操になってしまう。あはは。

出来ないようで出来る事もある。楽器の演奏。まあ、エレキベースはそんなに腕を上げなくても良いので。そのうち左肩に症状が出たら分からないが、たぶん大丈夫だろう。しかし、エレキにしといて正解だった。アコースティックベースは腕上げっぱなしだから、ローポジション(低音を出すためのより高い位置)は無理だろう。同じくドラムスもクラッシュシンバルが叩けない可能性が大。そのシンバルも3つまでなら低めにセットすればOKと思うが、太鼓やシンバルの数がやたら多いプログレは休業余儀なし。他にも演奏が厳しそうな楽器としては胡弓、ハープあたりか。症状がひどい場合にはフルートなどもボーダーライン上(特にバスフルートなんぞ… ウフフ)。パーカッションもティンパニーやトライアングルは問題ないが、シンバルは高く弧を描けなくなるのでバツ。それを指揮する指揮者にいたってはff以上のダイナミクスが出せないという致命的な事態が想定される。

楽器もさることながら、スポーツにおいては当然のごとく不可なものが多いと思われる。体操は論外(吊り輪? ブルブルブル…)だが、他にもバドミントンやハンドボール。バレーボールのブロックなどは想像したくもない。イテテテ… いずれのスポーツも選手は40歳前に現役引退だから問題ないのだろうか? ゴルフは選手寿命が長いが、あれも痛そう。プロの方々はどうやって克服しているんだろうか?

それに比べて勉強はいい。全然大丈夫。余裕。本を読むのもOK。板書を筆写するのもOK(板書自体はチト厳しいが)。PCでタイピングするのもなんら問題なし。素晴らしい。学問、万歳! 最近忙しいにもかかわらず、以前にまして読書に勤しむようになったのも、腕をフルに使えないという桎梏ゆえかもしれない。無意識にじっとしたままで出来ることを選択している自分がいる。腕が上がらないから、腕を上げなくていい事に専念できる。まさに怪我の功名。ナポレオン@セントヘレナ島状態。これを機会に古今東西あらゆる分野に亘って知のつまみ食いを図るべし。二十肩ってのがあれば、学生のみなさんも学業成就を見るかもしれませんね。でも、実験や実地、臨床の多い理科学・医学・技術分野には効果がないと思われます。なぜかって? だって、どんなに一生懸命やっても実験の「腕が上がらないから」 …おあとがよろしいようで。

『家庭の医学』 [R 490.36/Sh64 p.787]

<< 前のコラム | 次のコラム>>