『ユリイカ』1978年11月号です。同誌に「植草甚一氏に対する99の質問」という記事がありますが、孤島へ持っていく本はという質問に、"そのとき吉田健一全集(注:著作集のこと)三十冊が出つくしていたら、それにしようかと思うでしょうが"と答えています。
ICU図書館は『コーヒー一杯のジャズ』(764.7/U39k)を所蔵しています。これは、全40巻別巻1の「植草甚一スクラップ・ブック」の第23巻で、月報には本人手書きの日記を掲載していました。
そのうち1976年分が『植草甚一コラージュ日記 東京1976』(平凡社)として刊行されていますが、4月25日に、"吉田健一の「旅の時間」(著作集第25巻)のなかのニューヨークの話には感心した"とあります。続けて、"壇(注:壇一雄)の「火宅の人」(913.6/D35/v.6)のニューヨークの部分はじつにつまらない"とも。
植草甚一は、1968年刊の『モダン・ジャズの発展』(スイング・ジャーナル社)の著者略歴によれば、「一九〇八年東京日本橋に生まれる。早稲田大学建築科中退。一九三五年東宝入社(四八年退社)。現在フリーのライターとして外国文学、映画、ジャズ評論など多方面で活躍。日本ペンクラブ会員」。
中田耕治に言わせれば、"新しい文学の紹介者、ジャズのアフィシオナード、ニューヨークの散歩者、当代一流の翻訳家、映画批評家というよりシネマディクト、推理小説の最高のコネッスール"となります 。
『コーヒー一杯のジャズ』は、「コーヒーとモダン・ジャズ」、「モダン・ジャズと映画」の2部構成。ジャズは1956年ころから聴き始めた(このとき植草48歳)。チャールズ・ミンガスの名盤『直立猿人』が生まれた年です。「スクラップ・ブック」第14巻の書名は『ぼくたちにはミンガスが必要なんだ』。これは、ミンガス来日公演プログラムのコラムに付けたタイトルを流用したもので、 /> 「チャーリー・ミンガスの初来演。夢のような出来事ではないか。ぼくは半日ばかり何を書いたらいいかと考えていた。モダン・ジャズがすきになりだしたころ、「直立猿人」を聴いて、どんなに興奮してしまったことか」 /> と始まっています。同書259ページには、二人がにこやかに写っている写真あり。
『直立猿人』A面2曲目の「霧深き日 A Foggy Day」は、霧の街の喧騒を、ホイッスルやサイレンも使って描いていきます(エンディング近くで何か床に落っことした音も聞こえる)。クリフォード・ブラウンとマックス・ローチによる「パリの舗道 Parisian Thoroughfare」を連想させます。
関係ありませんが、『日本語版ダウンビート』1961年8月号に、植草が訳した特別読物と、ミンガスの現住所についてのQ&Aが一緒に載っているのを見つけました。
映画評論は、東宝を退社した41歳ころから。「モダン・ジャズと映画」では『死刑台のエレベーター』と『真夏の夜のジャズ』を詳述しているのが嬉しい。前者は日仏学院へ観に行った。フランス映画なのにフランス語字幕で、"Je ne sais pas"しか解らなかった。後者は日比谷野外音楽堂で。フルートを吹いているエリック・ドルフィーのアップ画面に、観客席から大きな拍手が上がった。筆者の学生時代の思い出である。
ジャズと映画、チョッと脱線しました。
「スクラップ・ブック」シリーズ第2巻は『ヒッチコック万歳!』。上記「99の質問」では、生涯の映画ベストテンに加えて、ヒッチコック監督作品のベストテン、ヒッチコック映画で忘れられない三つのショット、という問いにも答えています。詳しくは余談で。
監督来日時の会見記と写真がありますが、『ヒッチコック・マガジン』1959年12月号の植草の見開き連載「ヒッチコック物語 5」67ページ左肩にも、小さいツーショットを見ることができます。同誌の編集長は中原弓彦、すなわち、『ヒッチコック万歳!』の解説を担当している小林信彦です。
淀川長治の証言によれば、フェリーニの『8 1/2』を一緒に観た時、「もうこれで映画はお終いだね。もうこれ以上の映画はできない。こんな立派な映画、もう二度とできない」と言って感動したという。また、ヒッチコック作品で一番感心していたのは『疑惑の影』だとも。ただし、どちらも生涯の映画ベストテンには入っていません。
ミステリー・洋書・古本漁りは常軌を逸していた。高さ40センチほどに結わえた本の束を幾つか足元に置いて、タクシーのドアを開けているスナップは有名だが、『ユリイカ』には折り込み写真が2枚ついていて、1枚は、椅子に掛けて両手で本を持ち、両膝にもそれぞれ10冊ほど積み上げているところ。目の前には、縛ってあったりなかったりの洋書の山、左手奥には満杯の本棚、左脇にはNIPPON EXPRESS U.S.A. の段ボールが口を開けている。
他にも、やはり幾つもの本棚と床に積み上げた本でいっぱいの書斎でタバコに火をつけている姿(積み上げた本の上にはハサミがおいてある)、脚立に登って、天井近くに渡した棚板から本を取り出そうとしているところ(足元にはやはり本がぎっしり)なども見たことがあります。
もう1枚は、「ニュー・ヨークから買って帰った本」とキャプションの付いた写真。3段に並んだ洋書の背表紙が写っていてるだけで、何の変哲もないようですが、裏に書き連ねた著者・書名リストは、"などサンフランシスコで750冊、ニュー・ヨークで3,200冊"との但し書き付きです。
1977年、学術・文化部門でベストドレッサー賞を受賞(政治・経済部門の同時受賞者に麻生太郎がいた)。「スクラップ・ブック」シリーズ刊行中の1979年に逝去。残されたレコード約2000枚は、タレントのタモリがまとめて引き取った。4万冊の蔵書は散逸したという。
余談 ヒッチコック善哉!(「植草甚一氏に対する99の質問」より)