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“Time”(P/503/Ti5)1964年2月28日号です。右上に斜めにJAZZ: : Bebop and Beyondと書かれた表紙に肖像、右下にJAZZMAN THELONIOUS MONKと紹介があります。クリント・イーストウッドが1988年に制作したドキュメンタリー映画『セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー』をご覧になった人もいらっしゃるでしょう。ジャズ界でもひときわユニークな存在でした。特集記事は4ページ半に及び、映画の内容を先取りしたと思える部分もあるほどに、充実した内容です。
そのモンクの演奏中の写真が、『ユリイカ』(P/905/Y99)1977年3月号掲載の短篇「スパロー最後のジャンプ」に出てきます。この小説はエリオット・グレナード作、片岡義男訳で、副題は「チャーリー・パーカー物語」。“バード”の愛称で知られたアルトサックス・プレーヤーがモデルです。写真にはパーカーも一緒に写っています。
原題を”Sparrow's Last Jump”というこの作品は、”From Blues to Bop : A Collection of Jazz Fiction”(Louisiana State University Press)中の1作ですが、編者のRichard N. Albertは前書きにこう述べています。 “Jazz fiction is uniquely American, and the jazz musician, its central character, is frequently a distinctively American example of alienated man: the artist of rebel:”
これはそのまま、「ジャズ小説というのはアメリカ独特の分野である。そしてその中心人物であるジャズ・ミュージシャンというのは、大概アメリカ特殊型の疎外された男、すなわち反逆者としての芸術家というタイプである」と訳されて、マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化』(764.7/Mo22s)第3章「占領文学としてのジャズ小説」のエピグラフになっています。
では、日本にジャズ小説の居場所はないのでしょうか。興味深いことに、エピグラフはもう一つあります。ジャズ・ミュージシャン三木敏悟による「大学を卒業してからヨーロッパに渡りましたが、これは完全に、五木寛之さんの小説『青年は荒野をめざす』の影響です」というものです(大学とはICUを指す)。 『青年は荒野をめざす』(『五木寛之作品集』(913.6/It91)第3巻所収)は、ジャズ・ミュージシャンを目指す二十歳のジュンがトランペットを携えてナホトカ行きの船に乗ったところから始まり、ヨーロッパを巡ったあと、さらにニューヨークへ向かう船上で終わります。
解説を書く植草甚一は、五木の別の作品「海を見ていたジョニー」(作品集第17巻所収)に触れて、「ぼくはこれこそ日本で最初のジャズ小説だと考えているのだ」と賛辞を惜しまない。また、この作品を思い出すたびに、いつもきまってジェイムズ・ボールドウィンの短編『ソニーへのブルース』が浮かんでくるとも記しているが、James Baldwin ‘Sonny’s Blues’も上述した短篇集”From Blues to Bop”に入っています。
ジュンはパリで、ミュージシャンのレッド・シルバーに会う。二人とも、新宿にあるジャズ・スポット〈ペイパー・ムーン〉を知っていることが分かり、レッドはジュンに、俺がトイレの壁に残してきた落書きを覚えているかと尋ねます。ジュンが思い出す。 「ジャズと自由は、手をつないでやってくる―そうでしたね」 『戦後日本のジャズ文化』93ページに、『青年は荒野をめざす』の表紙写真があって、左上に、一部タイトルに隠れているが、JAZZ AND FREEDOM GO HAND IN HANDの文字が読めます。
寺山修司『あゝ、荒野』(913.6/Te67a)は、あとがきによれば著者初の長篇小説で、 「この小説を私はモダン・ジャズの手法によって書いてみようと思っていた。幾人かの登場人物をコンボ編成の楽器と同じように扱い、大雑把なストーリーをコード・ネームとして決めておいて、あとは全くの即興描写で埋めてゆくというやり方である」。 593ページにこんな文章があります。 「自由といえば、モダン・ジャズ喫茶が夜の最後にかけるレコードは、きまってセロニアス・モンクだ。 Jazz and freedom go hand in hand (ジャズと自由は手をつないでゆく)」
モンクが残したというこのフレーズの前にはThe best thing about jazz is that it makes a person appreciate freedom.とあるのですが、『戦後日本のジャズ文化』第4章のエピグラフに曰く、 「ジャズが現代人にとって持つ意義とか意味についていろいろなことが言われようが、結局それらはすべて「自由」という観念に集約される」。 書いたのは石原慎太郎です。五木寛之と同じ1932年9月30日生まれの石原には「ファンキー・ジャンプ」という作品があります(『現代の文学26 石原慎太郎』(918.6/G343/v.26)所収)。この短篇を収録した『殺人教室』(新潮社)の後記で石原は、「ぼくはこの作品集には自信がある」と切り出し、「ファンキー・ジャンプでは文体というか、文章を通じて自分のもっている視覚性に挑戦して見た」といっている。栗原裕一郎・豊崎由美『石原慎太郎を読んでみた』(913.6/Is74Yk)の栗原のコラムから引用します。
コラムは、「ジャズ小説は、おおむね失敗に終るに決まっている」という、片岡義男(!)の言葉から始まります。そして、石原慎太郎の「ファンキー・ジャンプ」は、「戦後日本文学に初めて登場したジャズ小説である」と述べる。あらすじは「女を殺した天才ピアニスト松木敏夫が自分のクインテットでヘロインを打ちながら七曲演奏し、最後の曲で生涯最高のアドリブを演り発狂してしまうという他愛のないものだ」としつつも、栗原は、この作品が「面白いのは、物語中に演奏シーンなどが挟まるといったよくあるつくりにはなっていないことだ。セッションすなわち音を、松木の幻覚である詩のようにも見えるモノローグすなわち言葉に書き換えるという無茶をやって、その綴れ織りで物語を浮上させようとしている」、「文学表現として今日鑑賞に堪えるかは疑問だが、試みが先駆的でありその後のジャズ小説と比較しても異質であることを認めるのにやぶさかではない」と評価しています。
栗原は続ける。「だが、石原のこの試みは追従者を生まなかった。強いて言えば立松和平「今も時だ」(一九七八年)が幾分、手法的に通じているだろうか。ピアニスト「ぼく」のモノローグだけで書かれたこの小説は、一九六九年にバリケード封鎖された早稲田大学構内にて行われた山下洋輔トリオのライヴをモチーフにしている」。
山下は東京12チャンネル(現テレビ東京)のディレクター田原総一朗から話を持ちかけられ、学生たちが大隈講堂から担ぎ出して反対派の教室に運び込んだピアノで演奏する仕儀に相成ります。この時、立松はアルバイトに行っていて現場を見ていない。その悔しさが立松に「今も時だ」を書かせました。このタイトルはチャーリー・パーカーが残した名曲Now’s the Timeからきているのだろう、と山下は推測しています。山下トリオの演奏は「DANCING古事記」のタイトルで3000枚の自主制作LPになり、のちにはCD化もされました。CDには237ページのブックレットが付いていて、山下と立松の回想と共に「今も時だ」全文も収録されています。ICU図書館にあるのは福武文庫版(b/Fu/Ta2/1)です。
本付きCDが出たところで、CD付きの本も紹介しましょう。阪口和彦『メモリーズ・オブ・ユー:いくつかの音楽をそえて』(913.6/Sa282m)は、スイングの王様と謳われたベニー・グッドマンが得意とした曲名をタイトルに借りたもの。ジャズ11曲入りのCDが付いています。著者はICUの卒業生です。
さて、ICUとジャズと小説の三大咄なら、この人は欠かせません。奥泉光氏です。『ユリイカ』2007年2月号の特集は、モラスキーの著作からそのまま借りて「戦後日本のジャズ文化」。二人の対談「まず音を出してみろ!」は、 モラスキー「ぼくと奥泉さんは意外と共通点が多いんですよ。ジャズ、文学、同じ五六年生まれで、ICU(国際基督教大学)に一年間、同時期にいたこともあるんですよ。将棋好きというのもそうですし。」 奥泉「そうだったんですか! どこからでも話を始められますね(笑い)…」 とイントロからノリノリ、そのまま濃厚なインタープレイに突入します。 対談で話題に上った、奥泉の「川辺のザムザ」(『海辺のカフカ』ではありません。『虫樹音楽集』所収)と『鳥類学者のファンタジア』(“バード”については冒頭に書いたとおり)は、もちろんICU図書館の蔵書です(913.6/Ok54coと913.6/Ok54c)。短篇「その言葉を」(『滝』(913.6/Ok54t)所収)には、テナーサックス・プレーヤーが出てきます。 (M)
おまけ: 「タイム誌では一九六三年の一一月号でモンクのカヴァーストーリーを予定していたが、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺事件が起こったため、掲載は延期された」(T・フィッタリング『セロニアス・モンク 生涯と作品』(764.7/Mo33XfJ)より) 掲載延期は偶然のことでしたが、1964年にレコード会社がモンクのアルバム”It’s Monk’s Time”を出したのは、偶然ではないでしょう。 なお、特集号の記事”The Loneliest Monk”は「いちばん孤独な高僧(モンク)」のタイトルで、村上春樹編・訳『セロニアス・モンクのいた風景』(新潮社)に収録されています。