? コラム M氏の深い世界 20170317:国際基督教大学図書館 ヘッダーをスキップ

ヒゴロウソツク ムクイニテ(古い雑誌から) 2017-03-17

『あまカラ』第40号から42号(1954 Dec.~1955 Feb.)です。発行は甘辛社。所在地は大阪市東區今橋五の三一、電話番号北濱八六二・八六三となっていますが、これ実は、ウラ表紙見返しに広告を出している御菓子司鶴屋八幡のそれと全く同じ。創刊は昭和26年8月のことでした。四六版で横開きの体裁は『銀座百点』に受け継がれていますが、モダンな表紙は今見ても新鮮です。

英文学者吉田健一がエッセイ集『舌鼓ところどころ』の「當て外れ」(『吉田健一著作集』(930.8/Y86)第6巻所収)で説明しています。“「あまカラ」といふ雑誌があつて、これは前から愛讀してゐるが、この雑誌が現在でも成功してゐる理由は、人間がものを食べずにはゐられない動物に着目し、素人の食ひしんぼう、それも多くはものを書くのに馴れてゐる文士が食べ物に就て書いた記事を編輯して一冊の雑誌を作つてゐる所にある”。そして、“…かういふものを書いてゐれば誰からも尊敬されたりする心配はないし、その上に満腹感だとか、二日酔ひだとか、人に軽蔑される筈のことなら、それを承知で誰にも氣兼ねしないで本音が吐けると考へて…”執筆陣に加わっていました。写真の3冊は、そんな作品の一つである「饗宴」(著作集第6巻収録)の連載号です。

昭和30年(=1955年)5月號『あるびよん ALBION』は創刊30号目。表紙に英文化綜合誌を謳う。これに吉田が「ロッホ・ネスの怪物」(著作集第5巻収録)を発表しています。「スコットランドでは、湖のことをロッホと呼んでゐる」という断わりを待つまでもなく、“ネス湖”だと見当がつく。「これを書いてゐる今から四ヶ月とちよつと前には、福原麟太郎氏、河上徹太郎氏、及び池島信平氏と四人で、スコツトランドの山奥を自動車で旅行してゐた…」から、「饗宴」の連載と重なる頃のことでしょうか。

文中の“車がロッホ・カトリンの近くにあるホテルの前に來て止つた。ここで朝のコオヒイを飲むことになってゐたのである”という一節に、「ネス湖の畔に一軒のカフェがあって、その名を“ネスカフェ”という」なんて古いジョークを思い出してしまいましたが、それはさておき、四人は吉田の提案でネス湖へ出かけます。そして怪物に遭遇する。黒い点が水面を非常な速さで走っていき、それが殖えて近寄ったような気がして、どこを見ていたらよいか解らなくなった。水面から目が離せなくなり、口も利けない。水が盛り上がって足許まで広がった。“その時初めて、自分が感じてゐる恐怖を意識したのではないかと思ふ。気が付いて見ると、我々四人は一目散に道の方に向かつて駈けてゐた”。

吉田は“現に一九三四年にR・K・ウィルソンといふロンドンの醫者が取った、その動物が頭と長い頸を水中から突き出してゐる寫眞が残つてゐる”(著作集第14巻「ロッホ・ネスの怪物その他」より)と証拠を挙げますが、広く世間に知られたこの写真は60年も後になって、おもちゃの潜水艦に木製の蛇の頭を載せて撮影したものだったことが、関係者の告白で明らかになりました。1994年3月14日付の日本の新聞各紙も挙って報じています。朝日の見出しは「ウソでした」、毎日は“ウソだった”ですが、讀賣新聞は“冗談”と書き、“「ネッシー伝説」を信じている人々や重要な観光資源としている地元スコットランドからは異論が出そうだ”と含みを持たせている。

ずっとウソをついていたせいで、ホントのことまで信用されなくなるというお話がありましたね。狼が出たと言っては村人や羊飼いをだましていた少年が、本当に狼に襲われたとき助けてもらえなかったという、イソップ寓話の「狼少年」です。これを母が突然すらすらと暗誦して驚かされた、と伊丹十三が『再び女たちよ!』(文藝春秋)に引用したのは、

オオカミ オオカミ オオカミト
コエヲカギリニ サケベドモ
ヒゴロウソツク ムクイニテ
トウトウ アワレナ少年ハ
ケモノノエジキト ナリマシタ
七五調で、すこぶる口調がいい。そして、トキニハユカイナ ウソヲツク。

ある年の4月1日、イギリスのBBCが、匂いのする放送すなわちスメロヴィジョン方式というものを発表し、あわせて試験放送を行なったことが新聞に出ていた。料理人が玉ねぎを刻んでいる画像に「受像機の正面、約二ヤードの位置で最もよく匂うことになっているはずですから、その位置からごらんください」と解説が入る。聴視者側も負けずに、電話で「大変よく匂った」と応じた。
あるいは別の年、沈鬱な音楽が流れる中、荒涼たるイタリー北部の風景が映り、陰々滅々とアナウンスが流れる。“「今年はスパゲッティ栽培者たちにとっては悪い年であった。異常な寒さと、長期に亙る雨によってスパゲッティの木木は開花期に壊滅的な打撃を蒙ったのである」解説につれてカメラはスパゲッティの木木の間を移動してゆく。木のところどころにはスパゲッティが房のように垂れている。年老いたイタリーの農夫が木を見上げている。「一九〇七年以来といわれる凶作の今年。僅かに実ったスパゲッティの木を見上げる農民たちの表情は暗い」”(伊丹十三『女たちよ!』(文藝春秋)より)

ビッグ・ベンがデジタル表示に替わると報じたのもBBCじゃなかったか? 日本でもやってもらいたいと、伊丹は料理番組と工作の番組、電気製品のCMの具体例を列記し、あまつさえ、NHK向けに詳細なプランを提案している。でもまあ、テレビでは難しいでしょうね。新聞なら例がある。古くは、吉田の「ロッホ・ネスの怪物」を掲載した『あるびよん』昭和30年5月號に“本邦最高權威の日刊英字新聞 Nippon Times毎日8ページ 1カ月\300”なんて広告を出しているニッポン・タイムズが、この年4月1日付で「ソ連爆撃機、羽田空港に着陸」と、90行にわたる長文の記事を載せた。冷戦が続いていた時代のことです。最後の方に「エイプリル・フールのきょう午後二時、帰国する予定」とあり、筆者はシガツ・ウマシカ。(川崎洋『嘘ばっかり』(いそっぷ社)より)

英字新聞はノリがよいのか、1988年4月1日のJapan Timesスポーツ欄右上にはTokyo Dome to be moved 40 metersの見出しがあります。
“The move was necessitated when it was discovered that part of the stadium was built on an ancient Shinto burial ground. A Shinto priest has subsequently declared that, unless the structure is moved, the Yomiuri Giants, one of two pro baseball teams that use the stadium for home games, will finish at the bottom of their division.”
東京ドームの一部が神社跡にかかっておる。どかさないでいると、読売巨人軍は今シーズン最下位に沈むぞよ、とのご託宣です。目下、ヘリウムガスで浮かせて運ぶか、お得意の突貫作業でやっつけるか意見が分かれているが、いずれにせよ、シーズン開幕までには間に合うだろうと結んでいる。

朝日新聞も負けていない。1999年の4月1日第6面に、時の首相小渕恵三の写真を掲げ、キャプションは「だれか、いい人いないかな…」。ヘッドラインは「首相、閣僚に外国人登用」。さらに「“ビッグバン法案”提出へ」、「サッチャー氏らの名」、「政界の人財難に危機感」、「使いこなせるかが問題」と小見出しが躍る。そして、入閣が取りざたされる人たちとして、ミハイル・ゴルバチョフ、マーガレット・サッチャー、リー・クアンユー、マイケル・カンターなど、当時の世界的政治指導者を似顔絵または顔写真付きで紹介しています。解説は、「小渕首相が人財登用策に踏み切れたのは、「真空の人」(中曽根康弘元首相)と指摘されていることに象徴される首相のこだわりのなさ、逆に言えば、「なんでもあり」の政治手法のためだ」が、「思惑通りに機能した場合、ただでさえ薄い首相の存在感がさらに薄くなる心配もある」と内心、実現を期待するかのようです。

これ、今でも通用する相当のブラック・ジョークだと思いませんか? 解説は続けて、「また、加藤紘一元幹事長らがポスト小渕の旗印として「純国産内閣を」の批判を強める可能性も強い」と書いていますが、現内閣には目立った抵抗勢力はなさそうだし、同盟国との絆は揺るぎそうにないし…。『嘘ばっかり』が倉田保雄の言葉を引用しています。
「日本の政治家は「ウソのプロ」だと思う。選挙の公約はへいきで破るし、政策もいいかげん、政治資金の届け出、資産公開にいたってはウソだらけ。みえみえのウソを表情一つ変えずにつく」
但し、「スコットランドのネス湖に住むという怪獣ネッシーは本当にいるのか。日本人の手でそのナゾを解き明かそうと、石原慎太郎代議士を総隊長とする探検隊が九月上旬、日本を出発する。…」というリードの、讀賣新聞1973年の記事「日本よ ネッシーもか」は8月27日付。「“石原探検隊”へ地元は阻止体制」の見出しもホントのことです。

何だか訳が分からなくなりました。堀口大學の詩で締め括りたいと思います。

「數へうた」
うそを數へて
ほんまどす

(以下、“ととを數へて さんまどす まぬけを數へて とんまどす”などと続き、おしまいは)

したを數へて
エンマどす
(M)

おまけ: 上の詩の紹介には一つウソがあって、おしまいの部分は実は他人の作。堀口が次のように明かしています。
註 最後の一聯は、この詩が雑誌に出た時、佐藤春夫君が追加してくれた。おかげで大そう立派になった。有難く頂戴して彼の友情に甘えることにする。

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