? コラム M氏の深い世界 20180115:国際基督教大学図書館 ヘッダーをスキップ

正月は毎年やって来る 2018-01-15

昨年末、年賀状を投函した私は、その足で書店に向かった。半年以上も前から気になっていた本を買うためである。すぐ見つかった。本文はこう始まる。
「我ながら「これはダメだな……」と、軽く絶望したのである」

毎年、僅かな枚数だが自筆の年賀状を出します。その度に感じていながら、敢えて無視してきた思いを、この書き出しは見事に言い当てている。本のタイトルは『字が汚い!』(文藝春秋)。本文2ページ目には、 "流しの編集者&ライター" である著者の新保信長が "某大物漫画家" に宛てた手紙が掲載してあって、
「筆跡そのものが子供っぽくて拙(つたな)いのだ。とても五十路(いそじ)を迎えた分別ある大人の字には見えない。つか、そもそも自分が分別ある大人なのかというとかなり疑わしいところではあるが、それにしたってこの字はないわー」

他にも、 "どう見ても1年生レベルである" という、実家で発掘された小学5年生頃の字や、「文字も少々乱雑なので、もう少し正確にていねいに書くよう努力しましょう」と所見のある、6年生の時の通知表、 "(中学)1年生のときより雜になってる感じがする" 中3の夏休みの作文の写真をはじめ、他の人たちの手書き文字も満載で、それぞれに「達筆といえば達筆かもしれないが、ビミョー」とか「「とり急ぎ」にもほどがある」、「これでも編集長である」などとコメントしてあり、美文字の人もそうでない人も、それぞれに十分楽しめるはず。うらはらの関係と書いたつもりが“33は3の関係”と読まれてしまったことのある私も、また然り。

太田あや著『東大合格生のノートはかならず美しい』(文藝春秋)を引き合いに出して、「どうやら私(一応、東大卒)には当てはまらないようだ」と云う新保は、『東大生はなぜ「一応、東大です」というのか?』(377.21/To463s)の著者でもある。ついでに書いておくと、『現代マンガの冒険者たち:大友克洋からオノ・ナツメまで』(726.1/Mi37g)の著者南信長とは新保の別名です。394ページからのコラムで採り上げている松田奈緒子(テレビドラマ化された『重版出来!』の作者)は、実は奥様。
「ひょんなことから作者と知り合い、どういうわけか結婚してしまった」

「毎年いただく年賀状に添えられた手書きの一言が何かの冗談かと思うほど汚く、それで印象に残っていた。失礼ながら、まさに「ミミズがのたくったような字」という比喩がぴったりな感じなのだ」と著者が云う写真は、“病気レベル”に字が汚いコラムニストの石原壮一郎からのもの。石原は、「年賀状は特にギリギリであわてて書いてるからというのもありますけど、まあ、そうじゃなくても似たようなもんですね…」と苦笑する。
「ありがたいことに夫は私とは月とすっぽんで、きれいな字を書く。これ幸いと年賀状や対外的な文書はすべておまかせ。おかげで字を書く機会が減った私はますます下手になった」とは73歳女性の投書。
「ああ、お手本があれば…。この年末年始、年賀状を書きながら悔やんだ。(中略)テキストを買って練習し、年賀状は美しい宛名で出すはずだったのに」と嘆くのは、ある新聞記者。
新保が通ったペン字教室の先生によると、「義理のお母様に年賀状を出せない」から習っているという女性もいた。
『練習しないで、字がうまくなる!』(サンマーク出版)の表紙写真には、「履歴書・お礼状・年賀状・サイン…もう、人前で恥をかかない!」と書いてあるのが見える。
つくづく年賀状は罪作りです。

「大人になれば自然と大人っぽい字が書けるようになるものだと思っていたら、全然そうじゃなかった」とか「字が汚い人間にとってワープロやパソコンは神道具だ」とか「伝票にサインするのが嫌でなるべくクレジットカードは使わないようにしている…」とか、いちいち納得がいく。「それでも果敢に手書きに挑む勇気には敬服する(中略)が、そういう人に話を聞いても同病相憐れむだけで、参考にはならない」アイタタタ。

新保も石原も書道教室に通わされたことがあるが、石原は云う。
「書道で書くのってしょせん2~3文字だから、そんなにムチャクチャなことにはならないんですよ」
私も高校生の頃そう思った。で、ハマッたのが勘亭流です(ちょっと正月っぽい)。竹柴蟹助『勘亭流教本』(グラフィック社)がお手本。昭和42年初版のこの本は、書道と同じ「永字八法」から始まる。「永」の字には漢字を構成している点や画が全て含まれているというアレですね。ずいぶん練習しましたが、ある時、伊丹十三のエッセイ「ナガ」(『女たちよ!』(文藝春秋)所収)を読んで力が抜けてしまった。
「高校の頃、私たちは氷のことを「ナガ」と呼んでいた。学校の近くの氷屋の旗が、氷という字の点の打ち方を間違って「永」という字になっていたのである」
……竹柴はのち、グラフィック社から『歌舞伎勘亭流』、『勘亭流字典』も上梓した。今でも私の愛読(?)書です。

『字が汚い!』は全5章。各扉には、その時々の手書きで「乱筆乱文にて失礼いたします。新保信長」の文字が掲げてあります。『練習しないで、字がうまくなる!』を参考にしたものは第3章「字は人を表すのか?」の扉を飾って(?)いる。
第2章「練習すれば字はうまくなるのか?」の扉は、「原稿執筆時点(2016年6月)でアマゾンの本のベストセラー総合98位!発売から6年半も経ってるのに、この順位はすごい。「ペン字」カテゴリーではもちろん1位。263件ものレビューがついていて、評価も平均4.0と高い」テキスト『30日できれいな字が書けるペン字練習帳』(宝島社)をクリアした成果です。「あ」から「ぬ」までのひらがなを9文字ずつ書く練習では、「…最後のぬぬぬぬぬぬぬぬぬを書き終える頃には完全にゲシュタルト崩壊。えーと、「ぬ」ってこんな字だったっけ?」という思いをしながら40日かかったという。
なお、第1章「なぜ私の字はこんなに汚いのか?」の扉は、「何も考えず、フツーに書き飛ばしたもの」

さて、いろんな練習帳を試しペン字教室にも通った著者は第5章で、新年のもう一つの試練に立ち向かう。
「「大人っぽくいい感じの字が書けますように」自分で書いた字を見て、またガッカリしてしまった」
場所は、書の達人菅原道真を祀った亀戸天神社。ご利益の一つは“書道上達”です。著者は絵馬を奉納したのだが、「ハンパに行書っぽくタテ書きにしたのも敗因か。書き始める前に字の大きさと配置をきちんと考えないから、こういう残念なことになる」(出来映えは写真で)
手書きでなくネットで奉納できるウェブ絵馬も検索してみた。ヒットして驚いたものの、「さすがにそれはいかがなものか」と次の目的地へ向かう。

やって来たのは小野照崎神社です。漢詩、和歌、書道、絵画等に通じた小野篁を祀る。もちろんここでも、亀戸と同じ文言を手書きした。感想は「木目にペンが引っかかって書きづらかった。絵馬難しい」(最終ページに写真だけ大きくアップ)

私? 年賀状は恥のかき初(ぞ)め。宛名と新年のあいさつだけで精一杯、添え書きまで手が回らない。絵馬なんて、とうていムリ。『字が汚い!』あとがきの最後に書いてある自筆の「あなたの字がいい感じになりますように。」がまぶしい。
(M)

おまけ:2017年6月4日付『朝日新聞』に載った書評
「タイトルを見た瞬間、自分がこの本を書いたのかと錯覚した。字が汚い! 実に身に覚えがある。書き初め後にみんなで記念撮影したとき、自分の字が映らないよう半紙を振り回していた小学校時代の記憶がよみがえる。「お前、なんで踊ってんの?」と同級生にふしぎがられたのである。いろいろ事情があるんだよ!(中略)終始笑える楽しい本だが、涙なくして読めなかった」

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