40歳を過ぎた頃から、急に周囲の友人たちが、やれ、サイトードーサンがどうだの、ノギマレスケがどうしたのと、やたら戦国や明治の人物を話題にしたがるようになった。人間年を取るとそういった昔ことにガゼン興味が湧き出すらしい。どうやらシバリョータローあたりの時代小説からさかんに知識を仕入れているとみた。仲間にされてはたまらないのでそうした本は読まないようにしていたのだが、ある日気が付くとそんな自分もいつの間にか歴史の本を手に取っていることに驚いてしまう。もっとも、こちらは中世や近代ではなく、太古の原始時代なのだが。
東京経済大学とICUとは、どちらも「はけ(国分寺崖線)」に隣接する丘陵部にキャンパスがある。野川に沿って見られる連続した崖状の斜面がそれだ。「はけ」は「剥げ(はげ)」からきているらしく、河川の浸食などによって土地が崩れた場所につく地名、「崩壊地名」の一種だそうだ。
そんな事を調べているうちに、ある本の付録で「東京アースダイビングマップ」というものを見つけた。今から6000年ほど前の縄文時代には、世界的な温暖化によって海面上昇が起こっていたそうで、この縄文海進期の地形に現在の東京を重ね合わせたものが、この地図である。
しかし、一見しても目の前にある地図が一体何なのかわからない。そこに見えるのは、入り組んだ無数の入り江に奥深くまで侵食された「半島」だからである。よくよく見ていくと、見慣れた地名がそこかしこに見つかる。「御茶ノ水」はこの地図では海に突き出た岬である。南へと坂を下った神田神保町一帯は海の底となる。東京タワーのある「芝」もまた、岬である。当然のように皇居から東側は一面の青い海。水道橋、赤坂見付、渋谷も巨大な入江の底。確かにあのあたりは土地が低い。こうしてみると何だか都内はやけに坂が多いような気もしてくる。こうした入江は東京の奥深くまで入り込み、立川を超えて更に西部まで続く。
先ほどの「はけ」はこうした入江の一つによってできた河岸段丘の名残の一つであるらしい。河岸? そう、今の多摩川が当時の巨大入江であった時代の河岸なのである。そう言われてみると、ICUでは建物を新設しようとするたびにやたら遺跡が出る。水場が近く、かつ、丘陵地で水はけのよかったこのあたりは当時では一等地であったに違いない。崖線の斜面に沿っては当時の横穴式墳墓がやたら多く、別名「墓穴銀座」とあまりありがたくない名前で呼ばれているという話も聞いたことがある。
今では見ることができないが、6000年前、多摩川一帯が巨大な入江であったその姿を、両校のキャンパスからの眺めの中に想像してみるというのはどうだろう?その際にはくれぐれも、両校の図書館のご利用もお忘れのないよう、どうぞよろしく。 (ICU図書館/山本裕之)
・地名の社会学 / 今尾恵介著. - 東京 : 角川学芸出版. - 東京 : 角川グループパブリッシング (発売) , 2008.4
・アースダイバー / 中沢新一著. - 東京 : 講談社 , 2005.5.
多摩アカデミックコンソーシアム図書館部会(2010-11年度当番館:国立音楽大学附属図書館)
〒190-8520 東京都立川市柏町5-5-1 TEL:042-536-0326 email: taclib@icu.ac.jp
Copyright (C) TAC Library Services. All rights reserved.