[説明]
アマースト大学総長
J.H.シーリー
内村鑑三は明治十七年十一月米国に渡り翌十八年一月よりペンシルヴェニア州立白痴院(ケーリン師院長)に雇人として労務に服し半ヶ月を送った。
偶々宗教的苦悩を懐くことゝなり未解決のまゝ院を辞し、マサチュウセッツ州に向って六月三十日出発した。有名なる漁港グロースターに駐まり、祈祷と視察に日々を送った。時に前進の道開け九月中旬、
アマスト大学神学科第三年級に入学することとなり二十年七月学業を終了した。其間に多く学び経験を積んだ。”在学中の或る日シーリ-総長に呼び寄せられ、
懇ろに十字架の救いの真髄を示され回心の機を賜わったことは最大無二の思恵であった”と敬虔の態度で屡々告白された。我が大恩人であると仰がるゝは至当の事と想ふ。