Apple社の創始者であり現Apple社およびPixar Animation社の最高経営責任者であるSteve Jobs氏が、昨年Stanford大学の卒業式で行ったスピーチを動画投稿サイトYouTubeで見た。随分と前から話題になっていたようで、仕事柄ウェブ上の様々な情報に接している者としては、我ながら随分遅れた反応である。さて、このスピーチはウェブ上で続々と各国語への翻訳版が発表されるほどのインパクトのあるもので、筆者も、見終わった後ちょっとした感動でしばし窓外の青空を仰望する事となった。日本語訳も探せばすぐに見つかるが、ICU諸子は是非動画版を見て、本人の肉声をお聞き頂きたい。
内容についてここで詳しく書くといわゆるネタバレになってしまうので、見るまでのお楽しみに取って置いて貰いたいのだけれど、このスピーチの主眼となる教訓を強引に要約すると「人生一回しかないんだから、みんな好き勝手に生きなさい」という事だ。つまり「勝手にしやがれ」と。どうにも使い古された常套句なのだが、青っちょろい流行歌の歌詞とは違い、一介のハッカーからの大成功、挫折そして復活を果たした歴史に名を刻むであろう人物が語る言葉は説得力が違う。彼の人物評は総じて辛いが、そこはカリスマ実業家の面目躍如といったところだ。
さて「自分の好きなものに没頭せよ。他の何にも煩わされる事はない」とは、至言ではあるが、簡単ではない。なぜなら人間社会は(たぶん自然界でもそうなんだとは思うのだが、動物になった事がないので分からない…)一人では生きにくくできている。というか、社会自体、皆が一緒になって作り上げたものである以上、その構成員は例外なく他人との繋がりの中で生きていく宿命にある。助け合い、団結、同情、遠慮、思いやり。裏に廻ればいがみ合い、反目、嘲笑、嫉妬、お世辞、根回しなど、一切合財の煩わしいあれこれを背負い込んで、あるいはこれらと戦って、あるいはうまくかわして生きる事が、ほぼ例外なく全員に求められている。専門用語ではこれを「大人になる」と表現する。つまり全員が「みなさんのおかげ」で生きていけるのであるから、その中では当然「好き勝手に生きる」事の方が難しい。しかし難しいからこそ、社会に出てゆく学士へのはなむけの言葉になるわけで、Jobs氏のような人物からそれを聞くと自分もやってやるぞという勇気が湧いてくるのである。
筆者が通った四国の中学校の木造校舎の階段近くに福沢諭吉が語ったとされる「福澤心訓」が張ってあった。これは7つの条からなる人生訓なのだが、覚えているのは「世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事をもつことである」だ。はあ、そんなもんかなあ、イマイチピンと来ないけど。と、この教訓を見るたびにいつも思っていた。実はこの心訓は福沢諭吉作ではない事がハッキリしている。作者は不明だが、筆者は内容にプロテスタントの香りを感じ取る。それはさて置き、好きな仕事に没頭するのは楽しいが、それが立派かというと難しいところだろう。例えばあの『プロジェクトX』の裏側にいて、男たちを支え続けた家族は幸せだったかを考えると、ちょっと複雑ではないか。件のスピーチの中ではいくつかの名言・名フレーズが披露されている。ジョークめいたものもあり、会場の笑いを誘っている。少しばかり拙訳しよう。
When I was 17 I read a quote that went something like "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right."
僕は17歳の時、こんな言葉に出会った。「毎日、これが人生最後の日だと思って生きてごらん。そうすればきっといつかは、その通りになるから」
No one wants to die, even people who want to go to Heaven don't want to die to get there...
死にたいと思っている人なんていないんですよ。天国に行きたいと願っている人たちも、そのために死にたいとは思ってません。