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紙の教え (2006年7月28日)

レファレンスブック利用統計グラフ。2000年、11,891件。2001年、11,419件。2002年、10,958件。2003年、9,215件。2004年、8,248件。2005年、7,513件2005年の10月18日のコラムで言及したとおり、紙の辞書・事典は年々使われなくなってきている。ICU図書館の辞書・辞典の2005年度利用件数は、前年度比8.9ポイント減の7,513件まで下がった。これは5年前の63%になる。

1996年にYahoo! Japanが、2000年にGoogle日本が登場して、今や大概の簡単な調べ物はサーチエンジンで出来るようになった。これが事典離れの直接の原因とは断定できないが、一般に何らかの情報を取得する手段として、インターネットが他の媒体を凌駕しつつあるのは確実であるように思える。その膨大な情報量と検索手順の簡便さからすれば、それも必然だろう。むしろ筆者が危惧しているのは この事に連動して人々がかつて持っていた知性や教養を失いつつあるのではないかという点だ。以下は時代の空気を感じ取った筆者の雑感と理解していただこう。テレビ・ラジオを除けば印刷物が情報取得の主たる媒体だった時代には、情報は物理的制約と共にあった。情報は本というモノの中にしかなく、多くの本を持ち歩く事ができない以上、全てを頭の中に叩き込んでおく必要があった。つまり学習の根本とはまず記憶する事と同義と言っても間違いはない時代であった。しかしインターネットが敷衍すれば、その必要もない。いつでもどこでもネットさえあればどんな情報にアクセス可能なのだ。極言すれば覚える必要がない。必要なときに探せればいい。またはリンク・所在情報のみがあればいつでも情報を引き出せる。それから自分の好きな気に入った情報だけを延々と享受できるのもネットならでは。こんな時代に、広い学識を備えた歩く事典的教養人を求めるならば、よほどの見栄っ張りに違いない。

確かに、ネットがもたらした利点を数え上げればキリがない。コミュニケーションツールとしての存在。散在していた情報同士の連結。今までの出版流通においては個人的地位や肩書きや運が無かったために発信できなかった有用な情報が、どんどん出てくる。だが、もしそれが反面、急激な事典離れを引き起こしているのだとしたら、あまりにも惜しい。だから今日はここで紙の事典の有用性を説きたい。話が堅くて分かりづらいと言われる筆者に代わって、彼にご登場願う事にしよう。

パパン、パン、パン、パンッ!

(ト 弁士登場。)

ハイハイハイハイ。来ました、出ました、シャシャリ出た。呼ばれてないのにジャジャジャジャーンと。お久しぶりでございます。え? 拙を覚えてない? ンもう、ヤですよ。去年の秋にここでお会いしたでござんしょ。書誌・索引の話をしたでげしょ? 思い出して頂けたでしょうか。書誌ってのは特定の分野について書かれた出版物のリスト、索引ってのは主に雑誌の記事に使用されている用語やキーワードや人物名から記事を探すための道具でやんしたねェ。

今日は辞書・事典についてだよっ。図書館風に言うと参考図書、あちゃらではレファレンスブックってヤツですな。図書館の正面玄関を入ってゲートを通って、左の奥の方に並んでる人たちですよ。え、何? 本は人じゃない? いいじゃありませんか。昔、こんな話もあったんですよ。動物実験に反対してた人がいたんスけどね、ある席である人が「蛙くらい低等なら(実験材料にしても)問題ない」と発言したのに激昂して叫んだそうです。「蛙だって人間だ!」 だから本だって人間です。ハイ。それで何でしたっけ? レファレンスブックでした。おや? アナタ、『広辞苑』くらいしか使った事ないって? ええー? もっったいないねぇ。アンタ、それもったいなさすぎ、紋付、チャコフスキ。ついでに盃、女好き。そんなもったいないシトに、今日は拙がレファレンスブックの扇子、じゃなかった奥儀を伝授つかまつる事にいたしやしょう。

まず、辞書・事典ってったって、細かく種類を分けていくと色んなモノがあるんでゲスよ。でもこれら一つ一つを説明してもキリがありませんよ、ねェ。それにそんなに長々説明されるの、ヤでやんしょ? 拙もヤダー。(笑) だから、今日はちょいと変わった観点で斬り込んで参ります。それはレファレンスブックを「どう使うか」ってえ考え方。ハイ、そこのアナタ、どう使ってますか?

(間)

ハイ。間が終わりました。そうでしょう、そうでしょう。調べ物に使うでしょう。何かを調べるために使う、と。間違ってませんよ。合ってますよ。参考図書だもの。そりゃ全く当たり前田のプラッシー。なんか違うな。それに古過ぎた。ま、いいや。でもそれじゃアナタ「調べる」って何ですか? 言葉の意味を知る事だけですか? いやいや、よーく考えると「調べる」って言葉には結構広ーい意味があるんでゲスよ。どんどん拡大解釈しちゃうと「能動的に情報を取得しようとする行為」全てが調べ物といっても過言ではない。あっ、難しい言葉使っちゃった。ヤですねえ、ついつい教養がにじみ出ちゃいましたよ。隠そう隠そうとしてんのに。えー、だから「レファレンスブックは調べ物に使う」ってんじゃなくって、むしろ「調べ物の一部としてレファレンスブックを使う」んですな、へえ。そんじゃ話を戻しまして、レファレンスブックを何に使うってえと、これには三種類ございやす。いろはに分けて説明するよっ。えっ? ABCがいいって? まぁったく、カッコつけちゃって。よござんす。エンゲレス風に行きやしょう。拙が攘夷さんたちに斬られちゃったら責任とってくださいよっ。

まずは 「A. 語句の意味を知るまたはデータを得る」 です。こりゃ簡単だ。言葉の意味が分からない時、その言葉の意味を詳しく知りたい時の使い方ですねえ。『広辞苑』や ”Oxford English Dictionary” なんかコレに使います。それから『時刻表』や『理科年表』『日本統計年鑑』なんかはデータを得るために使いまさぁねえ。ここまではみんな分かってるんですな。ここからがサァお立会いときた。

「B. 読む」 です。何ですか? 何きょとんとしてるんですか? 辞書・事典を読んだっていいジャン、パリジャン、ユッケジャン。実際、読まれるために作ってある辞書は多いんですよ。百科事典なんかはその代表ですな。それに南蛮渡来の洋モノ事典たちも多くはこのタイプだぁね。A. に出てきたような、語句とその簡単な説明を集めた辞書・事典が「小項目事典」って呼ばれるのに対して、これらは「大項目事典」って呼ばれてます。一つの項目のカバーする範囲が広くって、記述の仕方も説明文よりは論文に近いんです。例えばここに持ってきたコレ “International Encyclopedia of the Social & Behavioral Sciences” 全24巻にインデックス2巻もある総合社会学事典です。ずらっと並ぶと壮観だねえ。これを使って developing country を調べてみましょうか? ええと、DEVは6巻かな? どれどれ…

おやー、developing country なんて項目はありません。あるのは Development and the State、 Development and Urbanization、 Development, Economics of、 Development: Organizational… しかも一つ一つの項目は長い上に何章にも分かれています。こりゃまるで小論文集でゲスな。しかしdeveloping country については一体どうやって調べたらいいんでしょか? ハイ。知らない振りしてババンバン。と、トボケてた拙がお教えしましょう。この手の事典を使うには何を差し置いても、まず第26巻のインデックスを見るんでございます。インデックスにはこの事典全体にわたって使われた語句のうちからキーワードになりそうな主要なものを抽出してリスト化し、それらが何巻の何ページに出てくるかが分かるようにしてくれてるんですよ。有り難いねェ。これで developing country を引いてみるってえと… おおーっ、何と、developing countries はあっても、それ自体には出現ページ数が書かれてません。その代わりに developing countries について言及されてる、項目のリストが出ているんですねえ。academic achievement 4巻2,525ページ、adolescent employment in 1巻12ページ、以下 water management 24巻16,384ページ に至るまで、実に124項目。つまり、この事典は developing countries という言葉の意味を調べるものではなく、その言葉が含まれている大項目の該当箇所(とその前後)を読むことで developing countries 全体についての広くて深い理解を得るために存在するんです、ハイ。より “in context” な理解が出来るように作られているんですねェ。多くの百科事典、洋事典はこんな具合に使うように出来てるんです。どうです。ためになったでしょ? え? 知ってた? あーそーですか。すみませんねえ。それでは、お詫びにここで一句。

「はかめろを、すみちょびらんと、さねぐらし」 白猫

失礼しましたーっ! さて、最後はコレ。「C. 参考文献情報を得る」アレッ? 事典自体が「参考図書」なのに、何なんでしょう、参考文献って。実は多くの大項目事典には各大項目のお終いに、その項目に関連した本や論文のリストが付いてるんですねえ。この項目についてより深く知りたい人はこんな本があるよーっとか、この項目を書くに当たって筆者はこんな本を参考にしましたよーっていうリストだから、こりゃ前回お話した書誌と機能においてはおんなじです。だからして大項目事典ってのは、単に疑問に対する答えを用意するだけじゃなくって、それを踏み台にして次なるステップへ誘う役割も持っているんでございますねえ。

どうでゲスか? サーチエンジンはピンポイントで情報が出てきてお手軽だけど、紙の事典もなかなかいいもんじゃありやせんか。知識の拡がりですよ、拡がり。まさに教養の世界ですな。「猫」について何を知っているかと言われた時。マタタビ科植物ってのがあるのを知っていやすか? 皮が三味線に使われてるのを知っていやすか? 三味線に張ったときお乳のあとが4つ見えるので猫皮の事を四つというのを知っていやすか? 化け猫が行灯の油を舐めるのは鯨油だったからという説があるのを知っていやすか? 猫の目が光るのはタペータム(鰓孔 さいこう)という物質だと知っていやすか? 猫にタマネギを食べさせると腰を抜かすのは含有成分による赤血球の破壊による酸欠状態だと知っていやすか? 『猫じゃ猫じゃ』という江戸期に流行った唄は、浮気をごまかす内容だと知っていやすか? 工事現場で「猫持ってこい」と言われたら一輪手押し車の事だと分かりやすか? 世の中、全ての知識が繋がっております。風が吹けば桶屋が儲かるってねえ。そんな知識のネットワークを自分の中にとらまえるには、意外とネットよりは紙の方がいいんじゃないかなあって、拙は思うんでございますよ。

ハイ。今日はこれまで。こんだ会うのはまたネタが準備できた時だ。ほんじゃ、さいならーっ!

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