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丸谷才一『梨のつぶて』 2014-06-10

『加田伶太郎全集』の月報に寄稿している丸谷才一の初評論集『梨のつぶて』です(平野甲賀デザインのジャケット付きの方は2刷)。

オビには『笹まくら』の作家と紹介されています。これは徴兵忌避者が主人公(今は大学職員!)の長編小説で、『丸谷才一全集』第2巻(913.6/Ma59/v.2)で読むことができます。河出文化賞受賞作。谷崎潤一郎賞受賞の長編『たった一人の反乱』は同じく全集の第3巻に収録。それぞれ英訳"Grass for My Pillow"(913.6/Ma59sE)、"Singular Rebellion"(913.6/Ma59tE)もあり。

主人公が徴兵忌避者で、しかも、物語の終わる数行前に、"ぼくがそれをしたことは、国家に対するたった一人の反逆をおこなったことは"というくだりがあるのは全集第1巻中の「秘密」。上の2つの長編以前の短篇です。また、吉永小百合主演で映画化されたのは「女ざかり」(全集第5巻)、中年画家のモノローグに終始するのは「男ざかり」(全集第1巻)。

ところで、第一長編『エホバの顔を避けて』(全集第1巻)は、"エホバよ、わたしはあなたの顔を避ける。あなたのその輝かしい彩りを、その歌声のきらめきを、わたしは避ける"と始まりますが、ここから後の作品『輝く日の宮』(913.6/Ma59k)、『裏声で歌へ君が代』(913.6/Ma59u)を連想するのは、うがち過ぎでしょうね、やっぱり。

『梨のつぶて』には前書きがなく(ついでにいえば、後書きもない)、すぐに「Ⅰ文明」の「未来の日本語のために」で始まるのだが、著者はいきなり冒頭で、 /> "昭和の知識人は明治の知識人にくらべて遥かに文章が下手になっている。いや、上手下手の問題ではなくて、文章を書く力が無残に低下している"と断を下す。そうしてマタイ伝福音書第6章26節から31節までの文語訳と口語訳を引き合いに出して、口語訳は極めて劣悪だ、第一にそれは…、第二に…、と第四まで問題点を指摘したあと、 /> "あげるべき欠点はまだ数多くあるし、朱を入れるべき箇所は引用した全文がそうなのだが、煩にわたることを恐れてこれくらいにとどめる"といいながら、"とにかく大変な悪訳であり悪文である"と念を押す。じつに刺激的で挑戦的。聖書(そして翻訳)に関心があれば読みたくなるでしょう。

さらにその先には、『中央公論』昭和38年7月号の84~89ページと、昭和39年2月号148~164ページを読んでほしい。いずれも代表的な知識人であるはずの人が書いたのだが、その拙劣さは形容に苦しむほどのものだと続けてある。どちらも名前は伏せてあるが、身分肩書きは明記してあって、これも大いにそそられます。

「未来の日本語のために」の初出は『中央公論』1964年つまり昭和39年の3月号。『日本語のために』(810.4/Ma59n)に、また、『桜もさよならも日本語』(810.4/Ma59s)と編集合本された『完本日本語のために』(b/810.4/Ma59k)にも収録され、のちの国語教育批判、国語改革批判など一連の日本語論の嚆矢となった論考です。

同じように、「Ⅱ日本」、「Ⅲ西欧」から、『後鳥羽院』(911.08/N77/v.10。第二版はb/Cg/Ma37/1)、『新々百人一首』(911.13/Ma59s)、『歌仙の愉しみ』(080.1/Iw4/1121)その他が、ジョイスの『ユリシーズ』の大幅な改訳(E/933/J85uJm)、その主人公に由来するブルームズデイに因んだタイトルのユリシーズ論集『6月16日の花火』(岩波書店)その他が…と、多岐にわたる著作が生まれたことについては、今さら紹介の必要もないと思います。が、

ひとつだけ。歌仙における伝説の一句、「モンローの傳記下譯五萬圓」は、石川淳の発句「鳴る音にまづこころ澄む新酒かな」に始まる「新酒の巻」で誕生しました。岩波書店のPR誌「図書」のある号が、その全貌を明らかにしています。のち、『歌仙』(青土社)に収録されたはず。

変わったところでは、鹿島茂、三浦雅士と3人で架空の文学全集を編纂する『文学全集を立ちあげる』(904/Ma592b)。 /> ●漱石は三巻でしょう。「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「三四郎」「それから」は絶対。「草枕」は外す。あと何を入れるか…「行人」は外しても構わないけど「彼岸過迄」は入る。「道草」「明暗」は入る…僕は「道草」「明暗」は嫌いなんだ…うん、それでも入る /> ●中島敦入れるなら、芥川はいらないと思う…えっ。それはできないでしょう…じゃあ、一巻じゃなくて、二分の一巻。たとえば佐藤春夫と抱き合わせ…僕もそんなもんだと思うな /> ●谷崎は二巻でしょ…当然、三巻でしょう…初期のとんでもなく変な小説があるでしょ。「金色の死」とか。小説的に驚くぐらい下手…あの時代、文章もひどいのよね…江戸川乱歩と同じぐらいひどい /> という具合に進行していきます。世界文学全集もこの調子。出来上がりは同書をご覧ください。

この3名、洋の東西を問わず、最近10世紀の文学・美術・音楽・舞台芸術・映画・建築から順位をつけて(!)100作品を選ぶという暴挙(?)にも出ました。『千年紀のベスト100作品を選ぶ』(904/Ma592s)は、選ばれた作品ごとにいろいろな人がコメントをつけ(たとえば、「不思議の国のアリス」に北村薫、「鳥獣戯画」に南伸坊、「北北西に進路を取れ」には和田誠)、さらに、異議ありエッセイ(サイデンステッカー「リストの偏り」と張競「ランキングの品定め」)も収録して、文字どおり百花繚乱。

ここで余談。丸谷は声がデカかった。文壇三大音声の一人というから尋常ではない(あとの二人は井上光晴と開高健)。本人は、まず認めたうえで、こう差別化する。 /> 「井上さんの声は鉱物的で、原爆が破裂して都市を破壊するような声。開高さんのは、動物的で雌雄の鯨が交尾するような声。ぼくの声だけが、オーケストラのように音楽的」

そして、かつて吉田秀和の出版記念会でスピーチをした際、武満徹が吉田と連れ立ってやってきて、「いやあ、素晴らしいクレッシェンドですねえ」と言い、吉田がとなりで(笑顔で)頷いていたんだから、と傍証を引く。でもこれは、二人が小澤征爾や高橋悠治の恩師に敬意を表した、と解釈すべきところでしょうね。

丸谷には、桐朋学園で英語の教師をしていたある新学期、高校・短大合同の合唱の授業と隣り合わせの教室になり、さすがにかなわないので教務課に頼んで教室を替えてもらったことを、さるシェイクスピア学者に、 /> 「あいつのどなる声がうるさいんで、合唱の先生が悲鳴をあげ、教室をうんと遠い所へ移したそうだ」と言いふらされた前科(?)があります。

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