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『石川淳の自選作品』 2014-07-30

『石川淳の自選作品』(二見書房)です。創造集団が企画・製作した「現代十人の作家」シリーズ全10巻の第5巻。548ページに15編を収録。オビに、「厳密な自選 作者の体温をもつ一冊個人全集 後世に手渡す文化遺産を作者と共に確認するためにこれは編まれた」とあり、各巻2000部の限定出版でした。
石川淳が第1回配本で、以下、吉行淳之介、井上靖、花田清輝、井伏鱒二…と続きます。

和田誠は、若手歌人の笹公人と作った連句5巻を収めた『連句遊戯』(白水社)のまえがきに、「ぼくに連句の面白さを教えてくれた第一号は『歌仙』という本です。著者は石川淳、丸谷才一、大岡信、安東次男」と記しています。

また、植草甚一が、1972年11月15日の日記にハイライトのパッケージを貼り付けて、「このHi-liteはじめて見た」と書いています。側面にあたるところに数字25が丸で囲ってあって、25本入りだと分かるのですが、1960年生まれのこの煙草のパッケージをデザインしたのが和田誠です。そして、銘柄はちがいますが、石川の短篇「鷹」(『石川淳全集』第4巻(913.6/Is762/1989/v.4))では、ピースに似た「明日のたばこ」が重要な役割を果たします。

「鷹」の主人公の国助は、レッドパージで専売公社をクビになり失業中だが、行きつけの食堂で、「K」なる人物から、「あしたの朝、ここに行ってみたまえ」と教えられる。言われるままにやってきたのは、とある運河のほとりの家で、たばこの小箱が詰まった紙袋を市中の店に届けるよう指示されます。
「しゃれた意匠のその小箱には、げんにcigaretteと印刷してある。しかしそのたばこの名は何とも判読しがたいアルファベットで綴られていた」

ところが、配達先の店頭で、それは普通のピースに変わる。一箱買って喫茶店で吸ってみますが、ピースの味しかしません。そこへ「K」が現れて、2冊の本を渡す。表紙に英語で「明日語文法」、「明日語辞書」と書いてあります。
しばらく公園のベンチで読みふけった後、例の家に戻ってたばこの代金を渡し、一夜の宿となる小部屋で、たばこを又もや吸ってみると、
「それは絶対にピースの味ではなかった。…上等のたばこの香が高くそこににほった」
小箱には再び、不明の綴りが現れています。乏しいマッチの明かりで、昼間「K」から受け取った辞書を引くと、それは「ピース」という意味だった。ここまでが第1部です。

石川は「普賢」で第4回芥川賞受賞。創設2年目の受賞について、『加藤周一著作集』(081.8/Ka86)第6巻の「石川淳小論」に、"たとえば『普賢』――余説ながら芥川賞はこの小説にあたえられた、即ち、石川の名誉でなく芥川賞の名誉である――"という一文を見ることができます。
『日本文学研究叢書 石川淳・坂口安吾』(913.6/Is762Yn)に、第4回芥川賞の経緯として、8名の選考委員の講評が再録されていますが、ここでも、佐藤春夫以下7名の委員が(同時受賞の富沢有為男「地中海」と併せて)推している。唯一、川端康成のみが、石川にも「普賢」にも一切言及していません。

上述の加藤周一は更に、"たとえば、『黄金伝説』――ほんとうの風俗小説はこういう風にみじかいものである。要点だけ書けばよい。どこが要点だかわからぬ連中だけがとめどもなく長く書く。風俗は忽ちすぎ去る。その一部にすぎない幾千の風俗小説もまたすぎ去る。風俗は伝説と化してはじめてのこるが、伝説をつくりあげるのが文学の事業であろう"と続けています。

戦後すぐ発表したこの作品は、占領軍の検閲により、当初の小説集『黄金伝説』から削除の処置がとられた。表題作を欠いたまま刊行されたこの小説集には「マルスの歌」が収録されていますが、これは、発表時に警視庁検事局が、「反軍反戦思想醸成」の廉で、掲載誌を発売禁止処分にした曰くつきの作品。いろいろと伝説的な本です。

畦地芳弘『石川淳後期作品解説』(913.6/Is762Ya/pt.2)によれば、「黄金伝説」で検閲員が指示した違反箇所の一つは、
「ラッキイ・ストライクを一本抜いてくはえた。なかば開かれたその緒方のハンドバッグの中には、たばこのほかチョコレートその他この国の産とはおもはれない品品がいっぱい詰まってゐるのを、わたしが見るともなく見ると、どう、お入用なら頒けたげるわよ」
(*「煙草」との書き換えを指示・検閲用語のchangeに相当する)
でした。

「普賢」は『自選作品』に採られていません。あとがきを見ると、
「書いてしまつたものは、すなはち捨てたものである。それをまた選ぶとは、わざわざ手数をかけて捨て直すにひとしい。念の入つたことである。選ぶこときはまれば、やがては無に帰する。これは当然だらう。そもそものはじめがまあ無のやうなものだからである。しかし、ほんたうのことはいそいではつきりいひ切らないはうがいい。きめつけていふとウソになる。無はウソとはちがう。茫茫としてこれをさとるべし。…」
けむに巻かれたようです。

最初期の作品集『壁』に石川から「序」を寄せられた安部公房は、その初対面を、あまり自信のない記憶によれば、と前置きして、「…石川さんがトイレに立った隙をねらってせっせと火鉢のなかをほじくりかえし、灰のなかから吸殻をあつめてポケットに捻じ込んでいるのでした」と弔辞に読んだ(『安部公房全集』(913.6/A122/1997)第28巻)。
安部の一人娘安部ねり(宮澤賢治の童話「グスコーブドリの伝記」の主人公の妹の名に由来する)の『安部公房伝』(913.6/A122Xa)では「公房は持ち帰った吸いさしをばらして、自分で細かい彫刻をびっしり施したパイプに詰め吸った」と続きます。

そのあとに、伝聞として、「…人がいても奥さんとけんかをする(憎らしいので最後は奥さんが石川に馬乗りになって手を挙げる、石川は懲りずに毒舌をはき続ける)…」と書いてあるのにビックリしますが、石川活(いしかわ・いく)夫人の回想録『晴のち曇、所により大雨』(913.6/Is762Xi)のはし書きには、 "衆人環視の酒席の只中で、「この三文野郎!」とビールを頭からぶっかけた(私が!)"とあって、まさに大雨です。

この回想録59ページ掲載の写真、自宅でくつろぐ石川の、胡座をかいて向かった卓に、2箱のハイライトが載っている。

余談。
「鷹」は文芸誌『群像』昭和28年3月号初出。「鷹 (一〇四枚)…石川淳」と書いてあるその目次に、「匿名小説 黑い富士…?」なる作品が。
ページを開くと、匿 名 小 説 と一文字ずつ四角で囲んで、タイトルは「黑い富士」ですが、著者名はありません。12ページのこの小説のあとには、囲みで、
「匿名小説は編集部の依頼によるもので、筆者の承諾を得て掲載いたしました。作家の文学経歴やその作家への固定観念をすべて排除して、作品それ自体を最も純粋なかたちで鑑賞し批評することは大切であると思います。この企画は毎号続けていく予定ですが、読者諸氏の作品に対する批評を大いに期待しております。尚、筆者の氏名は次号に発表いたします。
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二月号掲載匿名小説「哀れな情熱」の筆者
椎 名 麟 三 氏」(この行だけ文字大きい)

文体模写ではなく、文体推理(内容も判断材料になるんでしょう)のお遊び。面白いと思いますけど…、さっぱり判らない。作者は誰だったのか、企画は何回続いたのか、チョッと気になります。

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