『恐怖小説コレクションII 魅』(新芸術社)です。『魔』、『夢』と併せて全3巻。作品解説で、「内田百閒の気味のわるい短篇「件(くだん)」を読んでいる方には、本篇の題名が意味するものは、すぐ、お分かりだろう」と紹介されているのは、小松左京の名作「くだんのはは」。内田は、『石川淳の自選作品』を含む「現代十人の作家」シリーズに名を連ねているが、刊行の前年に亡くなったため、「自選」といっても生前のメモをもとにした編集だったそう。
ICU図書館には、小松の長編『日本沈没』(913.6/Ko61n)全2巻があります。上下合わせて400万部近く売れた大ベストセラーで、優れたSF作品を選出する「星雲賞」を日本長編部門で受賞。「日本推理作家協会賞」にも選ばれ、映画にもなった。
筒井康隆はパロディー短篇「日本以外全部沈没」(913.6/Ts93/v.15)を書いています。小松の受賞と同じ年、「星雲賞」を日本短編部門で受賞。やはり映画化されましたが、このとき、小松は出演依頼を断っています。
「筒井さんとは古いSF仲間で、彼の仲人は私たち夫婦なのだが、出来が良すぎるパロディを書かれた原作者は、実はいつまでも根に持つのである」(『小松左京自伝』(913.6/Ko61X))
『魅』の著者紹介に、「自選短篇集の「さらば幽霊」(講談社文庫)は、その質の高さでは群を抜いている」とありますが、この短篇集の解説で筒井が、小松左京論を展開しています。
「小松左京を日本列島に例えたら怪奇小説の作品量はせいぜい佐渡島ぐらいの面積にしか相当しないわけで、しかもその小さな怪奇小説島の中にさえ、あちこちの書評で絶賛を博した「比丘尼の死」、発表されてしばらくは雑誌編集者の間で話題にされぬことがなかったという「保護鳥」、またこの本にはなぜか収録されていないが、現代怪奇小説中一、二を争う傑作「くだんのはは」などという巨大な山がひしめいているのだから、まったく、どこから手をつけていいかわからぬというのはこのことである」
筒井は"ぼくとくらべて学識経験百倍"の小松の知識を、精神内部の格納庫に収めた各種の長持(ながもち)に例えている。それは、『日本沈没』においては、
「彼は「地質」「地震」「気象」といった長持をそれぞれひとつずつかつぎ出してきて中身をがらがっちゃがっちゃとぶちまける。そして中身を吟味し、選択し、配列しはじめる。途中で必要になってきて「政治」「経済」「社会」「学会」「外交」などの長持もひきずり出してくる」
のだと評するが、田辺聖子に言わせると、こうなります。
「小松左京さんは一言でいうと、サンタクロースのような感じのする御仁である。サンタクロースは、大きな袋を担いでいる。日本の大黒さんも大きな袋を担いでいるが、これは担ぐだけで、中のものをくれたりしないのだ。しかし、サンタクロースはちがう。さながら福袋のごとく、中からいろんなものをとり出して、気前よくプレゼントしてくれるのだ。しかも、何が出てくるか、予測もつかないのだから楽しい。小松サンタクロースはいひいひいひと笑いながら、その丸まっちい手で袋の中のタカラモノをふんだんにばらまき、われわれ読者をたのしませてくれるのである。そのタカラモノの多種多様なことは驚くばかりである」(『戦争はなかった』(新潮文庫)解説 小松さんのこと)
手が丸まっちいのはからだも丸まっちいからで、筒井の『欠陥大百科』(河出書房新社)の「おんがく〈音楽〉6 ミュージカル」の項には、"ぼくの兄貴分にあたるSF作家で、小松左京という肥った行儀の悪いひと"とある。
石川喬司は、『世界SF全集29 小松左京』(早川書房)の解説「小松左京の宇宙」に"星新一が先駆者として切りひらいた道を、小松左京がブルドーザーで地ならしした。しかもこのブルドーザーには精密なコンピューターがついていた"と書いている。
ブルドーザーと呼ばれたのは体格のせいか、または、小松製作所製のKOMATSUのロゴの入ったブルドーザーになぞらえたのか。
コンピューター付きブルドーザーと呼ばれた人、もう一人いましたね。自伝にも出て来ます。『日本沈没』が刊行されてからのこと、
"ニューオータニですれちがったときに、「あ、小松君か」って向こうから声をかけるんだね。「君とはいっぺんゆっくり話したい」とか言ってるうちにロッキード事件になったんだけど"
小松の短篇集『五月の晴れた日に』(ハヤカワ文庫)の表題作の発表時の作者名は、元になった戯曲を書いたときのペンネーム「牧慎三」から"まき・しんぞう"。
新人で、以前は多くの職業につき、一時は作家として活躍した時代もあったが、ある事情ですべてを捨て、現在はブルドーザー運転手として、仕事に、ふかい満足をもっている。写真は本人の要請で掲載を避けた。この作品は、作家クラブが筒井康隆氏の結婚披露宴に大阪へ出向いた際、偶然に発掘した。と紹介されていて、(K)と署名があるそうです。発表誌『SFマガジン』に小松名義で長編を連載中だったための措置だという。
田辺聖子の解説からもう少し。
「私が小松チャンとしゃべっていて好きな点は、私が何かいうと、「そうそう、よう知ってるね」とあたまを撫でんばかりにおほめの言葉を下さる点である。…もとより、博覧強記、見聞ひろく、該博な知識を誇る小松さんに、私なんか物知らずが、かなうはずはないのだ。だから、たまにおほめを頂戴すると、ほめられで(注:この「で」に傍点)があってうれしい。ウチの亭主(注:カモカのおっちゃんです)にほめられるよりうれしい。物知らずが、物知らずにほめられたとて何としよう」
「くだんのはは」は『戦争はなかった』でも読めますが、出版芸術社「ふしぎ文学館」シリーズの『石』か、角川ホラー文庫の自選恐怖小説集『霧が晴れた時』を推薦します。
「この本は非常に怖いので、申し訳ありませんが、心臓の弱い方は御遠慮下さい。また、夜中に一人で読まれることのないようお願いいたします」というオビの付いた前者は、「比丘尼の死」、「保護鳥」ほか充実した内容。後者は著者あとがきに、「作品を執筆しながら自身でこわいなと感じたのは『骨』『保護鳥』『秘密(タプ)』でした」と記してあります。
「骨」を初めて読んだとき、終末近くの描写に、「これは…、阪神・淡路の予言か」と、ゾッとしたのを覚えている。あの大震災のあとのことです。今回、読み返したところ、その先、ほとんどエンディングに、3・11を思い起こさせる一文があるのを見つけました。つくづく怖い。
余談:マンガ「くだんのはは」
雑誌『ダ・ヴィンチ』が、今年の5月号で20周年記念特集を組みました(創刊号の表紙写真は、アゴタ・クリストフの『悪童日記』(953/Kr52gr)を持った本木雅弘)。「くだんのはは」を知ったのは、この雑誌に連載の、呉智英が書いた記事だった。いつ読んだのか詳しい年月は覚えていないが、だいぶ前のことで、石ノ森章太郎が描いた「くだんのはは」が、月刊?(週刊ではなかった)少年マガジンに載ったことがあるが、それきりどこにも収録されていない、という内容でした。
この時は原作そのものも知らず、「へぇ」と思っただけで終わったのだが、しばらく後に、角川ホラー文庫『歯車~石ノ森章太郎プレミアムコレクション~』が出て、文庫サイズながら読むことができるようになりました。平成14年(2002年)3月刊の同文庫によれば、マンガの初出は『別冊少年マガジン』昭和45年(1970年)4月号で、ずいぶん間が空いています。
ついでながら、市村正親朗読のカセットブックが1987年に発売されていたとは、知らなかった。