? コラム M氏の深い世界 20161029:国際基督教大学図書館 ヘッダーをスキップ

屋根屋(古い雑誌から) 2016-10-29

『話の特集』1968年1月号です。小松左京の傑作「くだんのはは」(日本文学100年の名作第6巻『ベトナム姐ちゃん』(b/913.68/I35/v.6)所収)初出のこの号に、「どぜう・鬼姫・大蛤」というエッセイが載っています。「かめだ」という古くから続く床屋があって、店先に由緒ありげな看板を掲げている。ところが、店名が右から左に書いてあるのを近所の子供たちが「だめか、だめか」と囃すので、とうとう外してしまったという話です(その点、「やらと」は偉い)。また、ある車のボディに「クサイセトモノ」とあって「野本製作」のことだったとも書いています。

著者は土屋耕一。著書『コピーライターの発想』(080.1/G/724)に“数々のヒット・コピーを放つかたわら「回文作者」”と紹介があります。ご存知のように回文とは、右から読んでも左から読んでも同じ、というアレですが、文語体と口語体のごちゃまぜだったり意味不明だったりというのが少なくない。その点、この本に出て来る【済んだら ふらふら フラダンス】は単純明快、お見事です。

土屋は『話の特集』1966年7月号に「軽い機敏な仔猫何匹いるか」を発表しています。これは「どぜう・鬼姫・大蛤」と共に『土屋耕一のガラクタ箱』(誠文堂新光社)に収録されていますが、そこに「回文集」を書き下ろしている。長いのもありますが、簡潔にして間然する所がないのをご紹介しましょう。
酒二題【千曲、甘口】【千倉、辛口】
日本沈没【沈みし清水市】【沈まぬ沼津市】
(注:ちくま文庫版『土屋耕一のガラクタ箱』には清水市の分が載っていません。縁起でもないと云われたか。気持ちは分かりますが、せっかくの対句の妙が失われたのは残念)
書き下ろし「回文集」は『土屋耕一の一口駄菓子』(誠文堂新光社)にも。こちらからは五七五で、重厚と軽薄の好対照をどうぞ。
【黒し雲 鐘はヨハネか 黙示録】【鯛つつく 古老にウロコ くっついた】

【軽い機敏な仔猫何匹いるか】はそのまま土屋耕一回文集のタイトルになりました(917/Ts32k)。ノンブルが振ってないので、分量は手に取ってお確かめ下さい。
新聞の見出し風【三県で猪の遺伝検査】【開拓地区大火】では丸焼けになった【養豚千頭余】
イスラムの教え【国のタブウと言い 厭う豚の肉】
この本の見返しに【柚子湯】とあるのは土屋の俳号です。漢字の回文については『土屋耕一の一口駄菓子』に【反戦派】や【炊事椅子】などを挙げ、山本山・粉白粉・市川市は見た目だけ(注:付け加えれば日曜日や水道水、石灰石なども)で、文字でも仮名でもちゃんと回文は「多分【屋根屋】くらいでしょうか」と述べています。裏を返せば、この辺りは攻めどころということか。

人名【小田貞夫】も出て来ますが、『たのしい回文』(創元社)の著者は【せとちとせ】といいます。オビには、マグカップを持った大仏様が「なにこれ、おいしー」と云っているマンガが描いてあって【寺でラテ】。だいじょーぶか?と中を見ると、【リモコン、てんこ盛り】なんて一瞬不安がよぎるのですが、【元ミス住友】は挿絵もかわいい(?)。土屋の日本沈没を笑いのめすのは【勘違い、ワハハ、ハワイが沈下】。
以下、土屋→せとの順で並べてみました。
【スマートなトーマス】【ルーシー・シール】
【喫茶さつき】【店わかる?「かわせみ」】
【陽子より「伊勢や志摩写生旅行よ】【うどん店におります。マリオ(任天堂)】
【核を持ち基地も置くか】【完全安心安全か】
【大惨事難民みんな人災だ】【いかん、原子炉、炉心限界】
何かとお騒がせオリンピックは、せと→土屋で
【リオの馬鹿、飛び込むコビトカバの檻】【開催地土地も名もちと小さいか】
古典落語「長屋の花見」の出だしも、せとの手にかかれば、
【なんだんねん旦那?】【見てきてみ】【へ?】【長屋やがな】【は?】【長屋見なはれ、花見やがな】
噺家は【死んだ若手立川談志】師匠。土屋に言わせれば【駕籠暗く揺れゆく落語家】となる。

出だしと名前が回文と云えば、阿刀田高に「田代湖殺人事件」(『妖しいクレヨン箱』(講談社文庫)に収録)があります。“先生”のところへ一人の愛読者が、一年かけた原稿を持ち込む。長さは四枚半ほど。冒頭は「田代湖で須藤の着ている青いアノちうのを見た」。アノはアノラックらしい。“ちうの”は“ちゅうもの”だろうか…。二人の男須藤と民雄が小池恵子を巡って争い、最後は須藤がドスで民雄を殺してしまうというストーリーですが、稚拙な日本語で、箸にも棒にもかからない。焼き捨ててしまった“先生”でしたが、しかし後になって、【小池恵子】のみならず、あの作品全体が回文だったのでは、と気づく話です。

土屋には【藤原定家、と買い手らは自負】なる作品がありますが、絢爛な語彙を自在に操り、“現代の定家”と称された戦後歌壇の巨星塚本邦雄も、『ことば遊び悦覧記』(『塚本邦雄全集』(918/68/Ts54)第12巻所収)で「回文」を採り上げている。「昭和五十年頃であったか、『話の特集』誌上で、數箇月に亙り、現代回文への招待記事が載せられ、機智縦横の警句、箴言、破禮句、コント風短詩を愛讀した記憶がある」と述べる塚本は、藤原隆信の詠んだ
【白波の高き音すら長濱はかならず遠き潟のみならじ】
(しらなみのたかきおとすらながはまはかならずとほきかたのみならじ)
を引きながらも、「お=ほ」の許容を潔しとせず、さらに多くの和歌、連句を惜しみなく数え上げます。【櫻木のもとにみなはや今朝も來も酒や花見に友の氣樂さ】(大福窓笑壽・作)は、長屋の花見かくもあらんと思わせる一首です。さらに手の込んだ一句(作者不詳)は、
表【永き幸遺る形見の父の集】(ながきさちのこるかたみのちちのしう)
裏【牛の乳飮みたがる子の小さきかな】(うしのちちのみたがるこのちさきかな)

この手法を泡坂妻夫が、『喜劇悲奇劇』(創元推理文庫)に用いました。目次に、序章【今しも喜劇】、終章【喜劇も仕舞い】とあります。また、第1章「豪雨後」、第2章「期待を抱き」以下第19章までは回文。ショウボート【ウコン号】で巡業に出るバラエティショウの一団には、奇術師ノーム・レモン(【Nome Lemon】)、道化師【たんこぶ権太】などが揃い、書き出しは【台風とうとう吹いた】。本文にも回文続出で、最後は【わたしまた、とっさにさっと欺したわ】と締めています(余談ながら、筆者が数年前の年賀状に作ったのと一字一句違わぬ五七五回文が現れたのには全くたまげた)。解説の新保博久も負けじと、まず泡坂の急逝を悼んで【いやはや早い】と書き始め、文中にも幾つか散りばめて、土屋の名前と著作にも言及したあげく、最後は【そう言うのも物憂い嘘】。

土屋が他界して4年後、文集『土屋耕一のことばの遊び場。』(糸井重里事務所)が編まれました。「ことばの遊びと考え」(糸井重里編)と「回文の愉しみ」(和田誠編)の2冊セットです。後者は生前発表したもの、書き溜めていたものを中心に、『話の特集』読者の応募作品も収録しています。【下手な貴方へ】なんて言いながら楽しくやっている。「先生にはげましのお手紙を書こう」と投書があったのを受けて、じゃ、宛先はこちら、
【高槻市 黒野新町 八幡 四ノ六 敷津方】
(タカツキシ、クロノシンマチ、ハチマン、シノロク、シキツカタ)
まで盛大にお手紙をくださいと書き、「住所の回文は、わりあいに難しい」とうそぶいたりしています。

空前絶後の試みは【回歌】です。回文に始めから歌っても終わりから歌っても同じ曲を付けようと電話をかけてきた人がいた。さすがに“当方は、いささか言葉に詰まって「…」という心持ね”というその相手は作曲家の八木正生でした。八木はまず、短い【軽い機敏な仔猫何匹いるか】【山路静かな百舌鳥も鳴かず、しじまや】【ママが私にしたわがまま】にメロディーを付けた。特に最後のは、楽譜を逆さにしても同じになるという凝りようです。モーツァルトだったか、そんな曲があると聞いたことがありますが、歌詞は付いてなかったでしょうね。やや長めと土屋がいう「どことなく小学校唱歌みたい」なオリジナルは次のとおり。
【草の名は知らぬが 芽青みつつ、野は霞む 崖越える古猿ふるえ 苔がむす川の堤を、雨が濡らし 花の咲く】
以上4曲、楽譜もちゃんと記載されています。

締めくくりは(ここでもひっくり返して)和田誠のまえがきから。土屋の葬儀に際し、住職と土屋夫人は故人の生前の職業などを話します。
「コピーライターです」「というと…糸井重里さんのような」
「そうです。でもコピーだけではなく、回文とか」「ほう、回文ですか」
戒名はなくてもいいと言う夫人に、住職は、要るから考えておきますと答える。やがて、耕一の「耕」と柚子湯の「柚」を入れた戒名が付けられました。

【至光院耕董坤柚居士】(しこういんこうとうこんいうこし)
(M)

おまけ:
『ビックリハウス版・国語辞典 大語海』(パルコ出版)は、事典篇・教訓篇・回文篇から成っています。多くの有名無名の投稿者からの作品を集めたもので、例を挙げれば、
事典「案中模作:作品の案を考えているうちに人の作品をまねしてしまうこと」
教訓「秋田は秋田の風が吹く」
回文【となかい好きな、鱚、イカ納豆】(注:納豆を「なと」と読ませている)
回文の例の作者は村上春樹です。『またたびあびたタマ』(文藝春秋)に、「「ビックリハウス」という雑誌の回文コーナーに投稿して、掲載されたものです」と書いて再録しています。その時の表記は【トナカイ好きな鱚、いか納豆】でした。
『大語海』には数学や英語の回文もあります。【14×23×64×82=28×46×32×41】【Was it a hat I saw?】。思わず唸ってしまいました。後者の作者は【言語の権化?】

蛇足:竹本健治・せと・大語海で
ICU祭も終わってファイナル間近か。試験勉強は【けだるい眼 徹夜をやって 滅入るだけ】だから【夜やる?昼やるよ】のつもりが【寝る!テスト捨てるね】。あげく、【うろたえた答「太郎」】【考えた答「眼科」】を書いて【答案アウト】となりませぬよう、陰ながらお祈りいたします。

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