帰省の折、東海道・山陽新幹線の中から車窓を眺める度に日本列島の長さと多様な地域性を感じる。2009年元旦の晴天で暖かな東京を離れ、往路の半分ほど来たところで雨の風景になった。次に雪化粧の山々がしばらく見え、突然風景は吹雪とともに水墨画の世界に変わった。美しいというよりも、無色・無音のその風景には他の地域からの孤立を感じた。いつもの年よりも雪景色を長く見たように思ったのは、東京の暖冬のせいだろうか。
私が就職したバブル期でさえ、地方には職が少なかった。私の大学時代のクラスメイトには40人のうち関東以外の地方出身者が半数以上いたが、地元にUターン就職をしたのは、日本一元気な愛知県の企業グループに入った2人と小学校教師になった新潟の青年だけだった。
世界的な経済危機により、地方に限らず都会でも雇用状況はますます悪化の一途をたどっている。年始早々、東京・日比谷公園の「年越し派遣村」からあふれた人々のために厚生労働省が省内の講堂を開放したニュースが流れた。職と住まいを同時に失くした元派遣社員などの避難先として、年末年始に民間の団体などからなる実行委員会が運営した「年越し派遣村」には、不況の影響で解雇された数百人の人々が集まり温かい支援を受けた。政府は人道的見地から今後の支援や、雇用の受け入れ先として介護や環境ビジネス分野での対応を検討し始めているとのこと。
だが、もっと早い時点での対応が取れたはずだ。時代が求めている産業の振興に対して国が支援をし、雇用が創出されるように政策の重点を変えていくべきであった。政治や経済に特段の興味があるわけではない私にも今では簡単にわかることだ。難しいのは、既存の有力な存在にすがるだけではなく、未来を見通し新しい産業を見出し、早くから政策の重点を切り換えていくことである。つまり、強いリーダーシップが必要とされている。
来るべき時代のニーズを見据えた新しい可能性を見つけ、種を蒔き肥料と水をやる、あるいは良い苗木を見つけ育てるには時間がかかる。育てる側には気概と良いものを見分ける視点が必要である、また、新しいものが伸びていくには、他よりも有利で良質な環境も欲しいところだ。私自身を含めて日本人はそういったことが苦手なため、手間を放棄する傾向があるように感じる。しかし、効率・即戦力・既得権しか欲しがらなかったつけは悲劇を生んでいる。現在起こっている事態への早急な対策が何よりも求められるのは言うまでもない。しかし、そこに長期的な視野も入っているのか否か、固唾を飲んで見守りたいものである。