[説明]
1925年(大正十四年)六月二十五日、二十六日
内村先生の日記より転載
一夜を東北本線の汽車中に過し二十五日正午函館着直ちに湯の川通時任邸に至った、一同の大歓迎を受けた。午後五時家次男幸次対三浦浩子の結婚式を司った。出席者五十名を越えず、名家の結婚式としては至って質素なるものであった大に我意に叶い非常に嬉しかった。約翰伝二章カナの結婚式に於て主が水を変えて葡萄酒となし給いし其意義に就て語った。即ち普通の物を化して甘き意味あるものと成し給うと。
時任家は旧開拓使時代よりの名家であり、之に福音入り子女十一人尽く信仰を以て成長せしを思い、北海道に関係深き自分としてはその為に祝福を祈らざるを得ずと思ひ、今回態々遠路此地に来つた次第である。
よく二十六日は函館に於ける楽しき一日であった。朝新郎新婦とともに自動車を駆りて時任家経営の上磯牧場に行いた。風景を眺めて後、藁屋に横臥を許さん雲雀を聞きつ午睡を貪つた。五時遺愛女学校の夕の礼拝式に臨み一場の講和を為して帰つた。夜十一時一同に送られて帰途に就いた。波静かなる船中の眠は安くあつた。