『現代詩手帖』1981年11月号です。特集は「図書館幻想」。12人がそれぞれにイメージを拡げているが、入沢康夫「奇妙な図書館群」が目を引く。「昼下りの閲覧机で見た夢」を副題に、幻想の図書館を様々に紹介してくれます。業務に即して引用してみました。図書館員なら、一度は考える(考え込む?)のではないか。
選書:ある図書館では、その月に刊行された知り得る限りの出版物に番号を付け、乱数表を用いて、購入資料を無作為に選んでいき、費用が予定額に達したところでやめる、という方法を採っている。翌月もまた同様。「世の中の一切は偶然に支配されているので、この選択法をつづけて行くなら、この図書館は、これなりに世界の縮図に近づくと信じてゐます」と図書館長は見解を述べる。
私思うに:一理あるようだが、購入の継続は確保できても、資料の継続性が保障されないところが難点でしょうか。
開架式:ある図書館では、「完全開架制度」を実施しており、入館者は、どの書架にも全く自由にアクセスできる。ただし、そこに並んでいるのは、見せかけの背表紙だけの作り物で、入館者は雰囲気にひたりながら、持参した本を読むことになっている。司書は語る。「これはもっとも現代的かつ実際的な図書館運営法だ」。
私思うに:図書館とはいえないが、読書環境を提供している点で有意義です。ただし、「手もちぶさたげ」らしい司書は何をしているのか、疑問は残ります。
分類と排列:ある図書館では、背表紙の色を「分別装置」にかけて数値化し排列を決める。書架はさながら虹のごとし。誤った位置にあるものは「一目瞭然」である。数年ごとに「定期検診」を行ない、色褪せたものは排列変へされる。
私思うに:排列を決めるための分類をしなくてよい点が優れています。主題をたどってゆくブラウジングはできませんが、排列位置が検索できれば(現代の技術をもってすれば簡単)その不便は解消できる。また、昨今のカラフルな図書館を見るにつけ、書架の色に魅かれて入館者が増えることも期待してよいのでは。
さて、日本の図書館のほとんどは、本を分類するのに、日本十進分類法(Nippon Decimal Classification)を採用しています。0が総記、1が哲学というあれですが、NDCと聞くと、ゲーテ図書館(正しくは東京ゲーテ記念館)を見学したときのことを思い出す。当時は渋谷の道玄坂を上りつめて国道246号を右に行ったところにあったこの図書館で、独力でこれを興し運営している粉川忠氏は、いちいち驚かされる話をしてくれました。「ファウスト」が上演されると、その度に出かけるが、衣装や舞台、大道具などの写真撮影と、台本・パンフレット・入場券・ポスター・看板その他を入手するのに忙しく、客席でゆっくり観た経験はないこと、何紙もの新聞に毎日欠かさず目を通し、「ゲーテ」や「ファウスト」などの文言が一つでもあれば切り抜いて整理しているので、ドイツの市や団体などから何度も招待を受けているが、すべて断っていること。そして、資料の分類には、独自に考案した「ゲーテ十進分類法(GDC)」を使っていると知らされた。
概要を、阿刀田高『夜の旅人』(913.6/A949y)から引きます。同図書館を構想し、実現に向けて一途に邁進して、なおも満足しない粉川氏の生き方を記した一冊で、その故に逸話満載。一読に値するおススメ本です。(著者の阿刀田はもと国会図書館職員)
0 総合
1 ゲーテ環境
2 精神社会科学
3 文学(総括)
4 文学(詩)
5 文学(小説・戯曲)
6 文学(ファウスト)
以下、9の生活記録まで十区分。
6のファウストは更に、
61 総合
62 論究
63 伝説
64 解説梗概
65 各国語訳
66 日本語訳
67 ウル・ファウスト
68 演劇
69 ゲーテ以外のファウスト
と展開する。(そういえば、手塚治虫の『ファウスト』が展示してありました)
阿刀田は、あとがきに「たしかにこれは偉大な事業だ。しかし"狂的"な部分がなくもない…」と書いています。「ファウスト」や「メフィスト」という店を見つけるとマッチを貰い受ける、社名の由来を知りたくてロッテ製菓の本社へ社誌を手に入れに行くなど、粉川氏の情熱は常軌を逸していると阿刀田の目には映ったようです。その思いが契機となって、のちの直木賞受賞作『ナポレオン狂』が出来上がる。
ゲーテ図書館は1988年に北区西ヶ原に移転しました。前を通る道は「ゲーテの小径」と名づけられ、向い側の小公園は「ゲーテパーク」になっています。そこへ、"鞄図書館"が辿り着く。芳崎せいむのコミックス『鞄図書館』(東京創元社)は、古今東西のあらゆる本を中に取り揃えているという鞄と、それを提げて世界中を巡る司書さんの二人(?)の物語。鞄は口が利けて、何かにつけゲーテの言葉を引用する。"見事なフルベアードのおひげ"を生やした司書さんは、鞄に入った利用者たちが腰に巻き付けている命綱の端をしっかりと握って持っている。そんな二人の発言から、この図書館の概要を探ってみると、
鞄のセリフ:
「ただいま司書が席を外しておりますので当館は自動的に閉架式となっております」。「ヘーカシキってなんだ?」と問われて曰く、「読みたい本を言ってくれれば俺が口からだすってコト」
「司書さんの命綱なしで図書館に入ったら迷って二度と外には出てこれないよ」
司書さんのセリフ:
「公共の本だからなー 汚すなよー」
「俺たち鞄図書館は 時間と空間のはざまをぬって生きている」
「借りた本はきちんと返せ…」
「貸し出し期間は一年 一年経ったら必ずその本は返してもらうぞ たとえ君が、この世の何処にいようとも」
物語の七冊目(第七話にあたる)では、誤って鞄に落ち込んだ人を探しに入った司書さんに、鞄が「…最下層にある『神話・伝承』の階の13番目の部屋にいるよ…」と教えていますから、分類はされているようです。また、九冊目には禁帯出扱いの図書が出てきますが、その本には啓文堂書店のブックカバーが掛かっていました。
自分では動けない鞄は、早くも一冊目(2009年10月刊第1巻所収)の冒頭で、「知ってるか司書さん 日本という国に『ゲーテ記念館』があるそうだ 行ってみたいなあ」とけしかけていますが、実現したのは二十冊目(2013年8月刊第2巻所収)のことです。これから何冊のエピソードを重ねるのか、先は長い。
入沢の「奇妙な図書館群」に戻ると、異なる経過をたどりながら最後の一冊に行き着いた、二つの図書館が登場します。
蔵書目録:ある図書館(仮にX図書館とする)は、かつては数十万冊を蔵していたが、社会風紀刷新運動のあおりを受け、風教に有害と見做されたものを次々と廃棄処分していった結果、ついに一冊のみを残すに至った。表紙と扉だけの『X図書館全蔵書目録』がそれである。
参考文献:ある図書館は、平屋建ての小さいビルで、閲覧室のキャパシティーは数名分だけ、蔵書は十冊ほどしかない。しかし、それらの本に関する参考図書・関連図書が、地下1階に数百冊ほどあって、さらにその参考図書・関連図書が地下2階に数千冊…と、冊数と収容スペースは拡がっていく。のだが、あるあたりから、それは紡錘状に狭まり始め、あげく、小部屋に達して、そこにはただ一冊の本がある。
私思うに:…ウーン、ウロボロスに喰われてしまえ!
日常業務に戻れるよう、前向きな幻想を紹介しましょう。著者は建築家の鬼頭梓氏。ICU図書館元館長だった鬼頭當子さんのご主人です。"no step, flat floor"を主張する「新らしい図書館の建築」を書いています。高い壮大な階段に象徴される権威の威容を拒否した、入口も内部も平らな床の図書館の必要を、利用者の便宜や資料の配置、また、図書館員の労働の面からも説く。そして、一人で静かに本を読む、というイメージは、実は本の持つ本質そのものに深く根ざしている、と述べて、こう思い描きます。
「図書館は皆のものであり、本の場所であり、そして私一人の場所でもある。そんな空間を創りたいと思う。権威か富かに独占されていた知識は、今開放されて皆のものになろうとしている。それは曾て無かったことであり、曾て無かった新らしい空間を必要としているのである。それは未だ生まれていない。あるのは予感のみである。そのかすかな予感に支えられて、私は今も図書館の設計にとりくんでいる。」
未来に理想を見る、確たる幻想がここにあります。文末に添えられた、鬼頭梓建築設計事務所による(当時の)東経大図書館の設計図に、あなたは何を見ますか。
おまけ:自戒を込めて。または大きなお世話
「仕事をせずにのんびりしている人間ほどみじめなものはない」
ゲーテの日記1779年1月13日(『鞄図書館』第1巻四冊目より)