詩人の立原道造は、東大建築学科で丹下健三の1年先輩。建築設計に優れた学生に授与される辰野賞を3度、受賞しています。建築事務所に入所した彼は、自分が週末を過ごすための小住宅、ヒアシンスハウスを計画しました。在宅時には「ヒアシンスの旗」を揚げて、近くの友人たちに知らせるつもりだったそうです。が、結核に侵され、25歳の誕生日を待たずに夭逝します。1939年のことでした。
立原が、“たとへば沼のほとりに住む小家であつた”(拾遺詩篇のうち「午後に」より)と夢見たヒアシンスハウスは、残されたスケッチに基づいて、さいたま市の別所沼公園に、地元有志の協力や全国からの寄付を受けて竣工されました。2004年のことです。今、皐月の空に翻る「ヒアシンスの旗」は、“死の床にあってすら、「五月の風をゼリーにして持って来て下さい」と知人に頼んだと伝えられる”(宇佐美斉『立原道造』(911.56/Ta13Yu)より)立原の在宅を告げています。
『立原道造全集』第4巻(911.56/Ta13/2006/v.4)口絵に、
あり。
別所沼公園のヒアシンスハウスは、曜日と時間を限って内部を公開しています。