? コラム M氏の深い世界 20181016:国際基督教大学図書館 ヘッダーをスキップ

"Les Feuilles mortes" 2018-10-16

バックグラウンドミュージック、と云っても映画やドラマの背景音楽じゃなくて、商業用の、つまり、企業や店舗などで(たいていは小音量で)流れているイージーリスニングの方ですが、あれを〈エレベーターミュージック〉と呼ぶそうです。研究書もあって、ジョセフ・ランザ著『エレベーター・ミュージック:BGMの歴史』(1997年白水社)。原書は1994年に初版が出て2004年に増補改訂されています。2018年には日本でも、田中雄二『エレベーター・ミュージック・イン・ジャパン:日本のBGMの歴史』(760.4/Ta84)が刊行されました。

会社では仕事の能率が上がり、商業施設では売り上げが伸びる。エレベーターだって、さっさと上下する効果がある(?)。勉強もはかどるそうですが、ICU図書館では、音楽は開館と閉館の時しか流れません。が、朝イチに音楽を聴きながら入館すると気分よく学修に励むことができる、ならば〈ライブラリーミュージック〉もありです。決して夢ではない。
スポーツ界では練習時に活用されているようで、田中は、日本人アスリート、例えば内村航平や錦織圭、羽生結弦などの愛聴曲をリストアップしている。また、戦場でも使用され、第二次世界大戦における「グレン・ミラーの慰問楽団は、兵士たちに慰安の音楽として好まれ、アイゼンハワー大統領はミラーに感謝の辞を述べた」。

『エレベーター・ミュージック・イン・ジャパン』の〈喫茶店の定番BGM曲解説リスト〉にも、グレン・ミラー「イン・ザ・ムード」が挙がっていますが、そのすぐ上にロジャー・ウィリアムズの「枯葉」が、“55年に全米チャートで4週1位を獲得している。米国で「エレベーター・ミュージック」といえばこの曲が代表的”と紹介されている。
ジャズピアニストでアレンジャーでもある前田憲男も、CD『アレンジ虎の穴』で「スタンダードナンバーの中でも最も有名な曲の一つです」と言っています。

「元はシャンソンのこの曲が、ほとんどのジャズミュージシャンの常識とも云える曲になっている理由は、アドリブの素材として極めてバランスの良い構成を持っているからです。シンガーは別として、ほとんどのミュージシャンは歌詞の内容すら知りません。知っているのは大ざっぱなコード進行だけです。それだけ知っていればジャズでは充分、素材の役割を果たしてくれます」と前置きして、前田と彼のウインドブレイカーズはジャズの歴史に沿って、デキシーランド・スタイルに始まる様々な「枯葉」を演奏していきます。アレンジャーの腕の見せどころなんですが、スイング、ビバップ、ファンキー等々、それはそれは見事で笑ってしまいます。(特に、マンボでの演奏が一番面白かった。ついでに書いておくと、番外編では演歌「演枯葉」や高校野球応援曲にも挑戦させられている。)
グレン・ミラー・スタイルの演奏もあって、これも、ちょっと聴いただけで「あ、グレン・ミラーだ!」と思ってしまう出来映えです。でも、そんな訳はない。ジョゼフ・コスマが「枯葉」を作曲したのは1945年のことだが、ミラーはその前年に亡くなっているのだから。

もっとも、「枯葉」がジャズと相性が良いのは確か。掃いて捨てるほど(失礼)の演奏がありますが、二大名盤は、マイルス・デイヴィス(トランペット)の『サムシン・エルス』と、ビル・エバンス(ピアノ)の『ポートレイト・イン・ジャズ』でしょう。エバンスの方は二つのテイクを収録していてお買い得。ヴォーカルのメル・トーメは、『ジャズ・ヴォーカル名曲名盤161』(音楽之友社)によると、あるライヴ盤ではフランス語で歌い、別のレコードにはフランス語風の英語で吹き込んで「わざわざ「駐留軍のフランス語です」という注釈までつけている」そうですが、これも一枚にまとめてくれないだろうか。

フランス語の歌詞が付いたのは作曲の1年後。映画『夜の門』制作にあたって、詩人のジャック・プレヴェールが作りました。「曲が先にあって、それに合わせて作詩するのは初めての経験だった」が、「詩はすぐにできた」。『夜の門』は、主演者としてジャン・ギャバンとマルレーネ・ディートリッヒの二人に交渉したものの、結局どちらも話がまとまらず、ギャバンに代わってはイヴ・モンタンが起用されます。しかし、モンタンは映画の中で「枯葉」を歌っていない。
「ハモニカで吹くメロディーに、……モンタンがハミングするだけで終わった」
(『思い出しておくれ、幸せだった日々を 評伝ジャック・プレヴェール』(951/P927Xk)より)

メル・トーメの歌はいざ知らず、シャンソン歌手コラ・ヴォケールによる「枯葉」は、アメリカの大学で、フランス語の教材として利用されたそうです。また日本では、フランス語学習の際にプレヴェールの詩に触れることが多いとも聞きます。
歌はもちろん大ヒットしました。ワセダ仏文中退の野坂昭如は、かつて〈クロード野坂〉を名乗るシャンソン歌手だった。シロートじゃないゾという自負です。銀座にあった有名な〈銀巴里〉のステージに立って、「ラ・メール」や「暗い日曜日」そして「枯葉」を歌っていた、と永六輔との対談で語っています。(『永六輔の芸人と遊ぶ』(小学館))
しかし、フランス語のままじゃ、アメリカでは売れない。そこで、作詞家のジョニー・マーサーが英語の歌詞を付けました。「ムーンリバー」や「酒とバラの日々」などを作詞した人です。“Autumn Leaves”のタイトルで、ビング・クロスビーやナット・キング・コールのヴォーカル・ヴァージョンが出たあと、上に書いたロジャー・ウィリアムズのピアノで人気に火が付いた。

「枯葉」の日本語訳はいくつかあって、小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』(b/951/P92)では、〈シャンソン〉枯葉 として巻末に付されている。詩ではなく歌詞の扱いです。小笠原はフランス語だけでなく、英語もロシア語も堪能で、レイ・ブラッドベリやマヤコフスキーなどの翻訳も多い。『岩田宏詩集成』(911.56/I97)巻末付録「岩田宏と音楽、あるいは共有の原理――池澤夏樹」で池澤は、岩田の詩のスタイルはマヤコフスキーとプレヴェールの影響のもとにある、と言い切っても本人は否定しないだろうと書いて、プレヴェールの「美しい季節」(『プレヴェール詩集』に収録)を引用しています。実は、詩人岩田宏は翻訳家小笠原豊樹のもう一つの顔でした。

柏倉康夫『思い出しておくれ、幸せだった日々を 評伝ジャック・プレヴェール』は一部を訳出しています。タイトルはその書き出し、〈ああ 思い出しておくれ/ぼくたちが恋人だった幸せな日々を〉に由来する。

スタジオジブリが発行している小冊子『熱風』の2018年6月号の特集は、追悼 高畑勲 でした。宮崎駿、鈴木敏夫などのジブリ関係者や大林宣彦、太田光その他が、それぞれに故人への思いを語っていますが、きっと皆、グリム童話の「忠臣ヨハネス」(『改訳 グリム童話集』(b/943/G86kJ)第1巻所収)中のセリフのように、「木々の木の葉が一枚のこらず舌であるとしても、わたしのこのおもいを語りつくすことはできまい」という気持ちだったに違いありません。池澤夏樹も弔文を寄せています。
「……お目にかかってぼくはプレヴェールの翻訳はすばらしいと申し上げました。あなたは例のごとく照れていらした。でもあれは、『ことばたち』と『鳥への挨拶』は、本当にいい仕事です」

高畑はジブリアニメの演出家・監督としてよく知られていました。野坂昭如原作の『火垂るの墓』の脚本・監督も高畑です。そんな彼が、プレヴェールの詩集“Palores”の翻訳を手掛けています。フランス文学専攻だったんですね。この詩集の本邦初の全訳であると、『ユリイカ』(P/908/Y99)2018年7月臨時増刊号〈総特集 高畑勲の世界〉に記されています。その『ことばたち 訳および注解』の別冊『ことばたち 解説と注解』(951/P927paJ/suppl.)の巻末に、〈参考付録「枯葉」鑑賞〉として「枯葉」の全訳・原文・注解が収められています。注解が実に詳しい。ジョニー・マーサーによる英詞も併載してあって、充実の内容です。
   (M)

おまけ: エレベーター、マイルス・デイヴィス、フランス語とくれば、『死刑台のエレベーター』(DVD/778.235/Ma399aJ)を思い出さない訳にはいきません。ケースの表示によれば、ルイ・マル監督のこの映画は1958年作品。ジャンヌ・モローがヒロインを演じ、音楽を全編、マイルスが担当しています。日本公開は9月26日でした。江戸川乱歩が編集していた探偵小説雑誌『宝石』の昭和33年(=1958年)9月号はいち早く、乱歩に飯島正、植草甚一の二人の評論家を交えた座談会「「死刑台のエレベーター」を見る」を掲載している。
小林信彦の『イエスタデイ・ワンス・モア』(新潮文庫)は、1989年に生きる高校三年生の〈ぼく〉が30年前にタイムスリップするという設定です。ぼくは、来年に迫った安保改定への反対デモに巻き込まれて警官隊に追われているところを、偶然にも伯母(もちろん30歳若くて、ぼくのことは分からない)の車に拾われる。お礼にお食事でも、と誘うぼくに、伯母は「いいわね、それも」と応じたあと言います。
「あの……私、無軌道な女に見えないかしら。たとえば、ほら、『死刑台のエレベーター』って映画に出てきた若い娘みたいに。……」
この娘にはボーイフレンドがいて(こっちの方が無軌道なんですが)出先で事件を起こす。アパートに帰った二人は、睡眠薬を飲んで自殺を図ります。その時、娘がBGM替わりにレコードをかける。(これはマイルスの音楽ではありません。)
今は昔、ICU図書館は夏の間、午後3時閉館でした。そして、夏の閉館音楽は、映画のこの場面で流れ出すメロディーと同じ曲だったのです。3時終業! いい時代でした。「これで仕事終わり」と、解放された気分にさせてくれた、あれは最高のBGMだった。

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