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古本市で買った推理小説から落ちたシオリに「たすけてください。」の文字。裏を返すと「おしまいに登場した人物がいきなり犯人でこまっています。」と書いてある。朝日新聞11月23日の連載四コマ漫画『ののちゃん』です。ミステリーフェアのオビを巻いた本を手に「たのしみだなぁ」と言っているのは、いしいひさいちの四コマ漫画集『ほんの本棚』(創元ライブラリ)の、シオリをテーマにしたある作品の登場人物。本を開くとシオリが挟まっている。「あれ このしおり貼りつけてあるのか?」とはがすと、「犯人は刑事だった」と書いてある。 まったく、ののちゃんの父たかしならずとも、「よけいなことを。」といいたくなります。ましてや、いしいのマンガの主人公が手にしている本のタイトルは『たまごとじ袋とじドジな杜氏殺人事件』ですから、さぞガッカリしたでしょうが、そこは考えよう。袋とじのまま古本屋に売る手もあります。
中央公論社が筒井康隆『残像に口紅を』の後半部分を袋とじにして刊行したのは1989年ですが、1982年10月に出した、ジョー・リンクス原案、デニス・ホイートリー著の『マイアミ沖殺人事件』も、巻末が「誰が犯人かを推理してからあけてください」と袋とじになっていました。ヨットの船上で事件が起きる。刑事が乗り込んで捜査開始です。原作は1936年。尋問中に「見事な推理ですこと、ヴァン・ダインさん。」というセリフが出てくるところが当時を偲ばせる。ルイ・ヴィトンの衣装トランクや靴トランクも時代がかっています。 さて、調べれば調べるほど、誰にも犯行は不可能に思えてくる。刑事の最終報告書は、「本官には何が何だかわかりません。ご指示をお待ちします」というものでした。本文はここまで。本部で逐一報告を受けていた警部補が現場に赴かずして指摘した犯人の名前と犯行経緯、それと犯人による自供は袋とじの中です。(開けて見ました)
この本には、本物を模した書類や証拠品が付いています。始まるとすぐ、ヨットのオーナーが警察本部に打った電報と、捜査に当たるよう警部補が刑事に出したメモが、文字も紙質も大きさもそのままに綴じてある。関係者のポートレイト、現場写真、船室に落ちていたメモ、日本人乗客が書いた手紙(便箋に自筆縦書き)なども同様です。犯罪者記録の指紋台帳は、右手左手とも指一本ずつに加えて四本同時のも採取することが分かる。さらに、血の染みたカーテンの一部、櫛に付いていた毛髪(ほとんどが金髪だが黒い毛が数本混じる)。燃えたマッチの軸には文字が入っていて、芸の細かいこと。 この趣向は〈捜査ファイル・ミステリー・シリーズ〉として、『誰がロバート・プレンティスを殺したか』、『マリンゼー島連続殺人事件』、『手掛りはここにあり』に引き継がれました。袋とじを開ける前に被害者・殺人犯人・動機を書かせたり、別の解答用紙に15人の容疑者のうちの14名は潔白である理由を記入させたりと、あとになるほどハードルが高くなっています。証拠品も、第4巻『手掛りはここにあり』には、ビニール袋入りの紙マッチのカバー、映画入場券の半券、セメントの粉末、ヘアピン、薬莢等々が貼り付けてある。サービス満点の作りですが、製本は大変だったでしょうね。ちょっと同情する。
石森章太郎が描いた漫画捜査ファイル・ミステリー『佐武と市捕物控 死やらく生』の発行は1983年11月。大川から引き揚げた死体の所持品から話は始まります。石見銀山(いわみぎんざん。猫いらずと呼ばれた殺鼠剤)の包みに入った紅(べに))、珊瑚珠玉(さんごだま)の鼈甲(べっこう)の簪(かんざし)、裏が〈め〉の字の将棋の歩の駒、写楽と読める赤い鏡文字の陰影、袖口に付着していた金箔と雲母(きらら)。これらの実物が遺留品として付けてある。どうも絵師らしい、となって物語は進んでいきます。謎の浮世絵師東洲斎写楽を追うという趣向です。 写楽が描くところの大首絵、飛び出す仕掛け絵、あぶり出し紙を挟んで、下っ引きの佐武とアンマの市は、写楽を売り出しにかかっていた書肆蔦屋のあるじ重三郎、通称蔦重(つたじゅう)に始まって、式亭三馬、山東京伝、葛飾北斎、喜多川歌麿、太田南畝と訊き込みに回る。
井上ひさしの直木賞受賞作「手鎖心中」(『筑摩現代文学大系』(918.6/C44)92所収)の主人公である若き日の十返舎一九は、蔦重に連れられて行った京伝の奥座敷で、のちの曲亭馬琴と三馬に出会う。南畝や歌麿が居合わせる中、こめかみに頭痛止めの即効紙を貼った写楽の姿もあります。ところが、『佐武と市捕物控 死やらく生』では、蔦重も他の誰も、実際の写楽を見知った者は一人としていなかった。 〈寛政六年一月〉と書いた袋とじがある。それから漫画に戻って斬り合いになって、第二の袋とじには、〈この一件〈やま〉の下手人は誰か……そしてその動機は? あなた自身で推理なさってから封を切ってください。〉と記されています。
調書ファイル・ミステリー・シリーズのヒットに気を良くした中央公論社は、作家の和久峻三に、公判記録を創作し推理小説に仕立てる企画を持ち込みました。現役弁護士でもある和久が足掛け5年を費やした労作『雨月荘殺人事件 公判調書ファイル・ミステリー』が出版されたのは1988年4月のことです。 温泉旅館「雨月荘」で死体が発見される。身元は同旅館のオーナーで金融会社も経営する月ヶ瀬都子です。警察は自殺を偽装した殺人であると断定し、捜査の結果、夫の紀夫が逮捕される。紀夫は当初、犯行を否認しましたが、やがて自白する。しかし裁判が始まるとまた、無実を訴えます。
この作品は二分冊になっていて、〈公判調書篇〉は表紙も含めて、すべて公判記録のみで構成されています。表紙の裏にある〈本書を読まれるまえに〉にも書いてありますが、3~10頁(起訴状と第一回公判調書(手続)の部分)までは実物の書式通りに復刻し、参考のため製本様式も袋折りになっている。11頁以降は表裏印刷だが、全書類とも冒頭部分は実際の書式どおり。手書き文字もそのまま(長文は途中から活字)で、刻印(裁判官や書記官などのハンコですね)も赤く印刷してあります。 これら起訴状、実況見分調書、逮捕状、弁解録取書、勾留状、鑑定書、被告人供述調書、論告要旨、弁論要旨その他、普段はまず目にしない一連の書類によって、読者は裁判の進行状況を知らされる。推理の手掛かりは、多くの部分を占める関係者の証人尋問調書です。最後の第一〇回公判調書(判決)は、「第9回公判調書および第4回市民セミナーまで読んでからあけてください。」と指示してある。袋とじその1です。
市民セミナーというのは、もう一つの分冊〈市民セミナー篇〉のことです。この裁判を担当した裁判長が講師となって、〈公判調書篇〉をテキストに、セミナー参加者と対話しながら読み進んでいく(読者もこれに従います)。参加者は主婦、会社員、OL、法学部学生、家政学部学生、高校生、それに、 「月ヶ瀬都子は、ほんとうに、自殺したんですか。それとも、他殺だったんですか。巻川先生(講師)は、この事件の裁判長をされたわけですから、知っておられるんでしょう。早く聞かせてもらいたいですね。」 などと早々に言い出すご隠居の7人。セミナーは全部で6回行なわれますが、第5回分は袋とじその2です。第10回公判調書(袋とじその1)を読んでから開けるよう指示があります。第6回セミナーも袋とじで、これは、袋とじその1とその2を読んで推理し、それから開けることになっている。
どれもB4判かそれよりやや大きいサイズでした。残念ながら今や全て絶版。北鎌倉駅のそばにあるというビブリア古書堂で扱ってくれないだろうか。店主の栞子(シオリコ)さん、お願いしますよ。 (M)
おまけ: 『雨月荘殺人事件』は日本推理作家協会賞受賞の余勢を駆って、復刻も袋とじもそのままに縮小して(!)文庫化されました。ちゃんと函入りで、分売不可と念が押してあります。『マイアミ沖殺人事件』にも文庫版があった。こちらは、袋とじは残りましたが、書類は本文用紙と同じ紙質で文庫サイズに合わせてある、証拠品は写真で呈示するといった具合です。さすがに実物を付けるには小さすぎた。
中央公論社のファイル・ミステリーは書店の棚から消えましたが、泡坂妻夫『生者と死者』(新潮文庫)は今も健在です(ICU売店にも在庫あり)。白抜きで〈取扱注意〉と書かれた赤札の装丁が目を引くこの文庫は、1994年に書き下ろされました。16ページずつが袋とじになっていて、そのまま読むと短篇小説ですが、袋を開くと長編ミステリーに早変わり。短篇小説は溶けて(?)なくなってしまいます。
「「ところで、わたしのはじめての長篇小説『11枚のとらんぷ』の初版本は、アンカット フランス装という装幀でした」と、わたしは編集長に言った。アンカット フランス装というのは本の小口が化粧截ちしないまま製本されている装幀のことだ。読者は自分の手でページを切り開きながら読み進んでいく」(『生者と死者』のあとがき(これも袋の中)より)
ビブリア古書堂の栞子さんは、太宰治の『晩年』初版(昭和11年砂子屋書房刊)を所有しています。 「この初版は五百冊しか印刷されませんでした。ページがアンカットのまま、帯付きで署名まで入っている美本は、もうこの一冊以外に存在しないかもしれません……」 売るとしたら300万円以上の値段が付くというこの本を執拗につけ狙う人物に、栞子さんは石段の上から突き落とされる。骨折して入院中の栞子さんを、この人物は再び襲いますが、車椅子の栞子さんは、「一九七〇年代にほるぷ社から出た復刻版」で危機を逃れる。 ICU図書館も『晩年』復刻版を所蔵しています(918.6/Me22/v.4-19)。アンカットは切り開いてありますが、担当者が見落としたか、副標題紙から4ページまではくっ付いたままです。