先日「ICUの自然環境について調べたいが、いい資料はないか」と学生に問われた。確かにICUには多くの木々があるが、公園ではないので、50年の間その状態を継続調査した資料はない。NSの教授の主導でキャンパス内に生えているある一定以上の大きさの樹木の場所を調べた地図があるのみである。
建築当時の図書館の写真を見ると、建物の周りに全くと言っていいほど樹木の蔭が無い。これは何も図書館に限った事ではなく、1953年の建学の時分には、N館・バカ山・ロータリー・高校正門に囲まれたエリアには殆ど木が生えていなかったのだった。まさに新しい荒野に乗り出したパイオニアたちの開拓地といった風情だ。つまりは、「ICUの自然環境」と言っても、野川公園との境に見られる建学以前から存在していたいわゆる「武蔵野の雑木林」とICU建学以来今日までに植樹された「ICUの林」があるわけで、当然これらは分けて考えなければならない。
これら自然とどう関わっていくかは、殊更難しい。そもそも自然とは言っても武蔵野の雑木林は古くから人間が手を入れてメンテナンスをしてきた結果の集大成であり、手付かずの原始林ではない。ちょっと林の中に入ってみると、根本から切り取られた痕のある株が目立つのはその証拠だ。ひるがえせば、ちゃんとメンテをしていかなければ今の状態を保てないということをも意味している。
そこからさらに考えるのは、自然と人間の共生の風景である「武蔵野の林」を美しいもの・後世に残すべき財産と考えるのかどうかという事。かつては大切な生活の糧となっていた林も、今では景観美としての意味しかないのではないか。そして景観美などというものは所詮人間の感覚の都合の範疇を越えるものではないのかもしれないではないか。放っておいても砂漠になるわけではないのなら、武蔵野の面影が無くなろうが、なすがままにしておくのが「自然」という考えも成り立つ。
地球誕生から現在までの46億年を46kmにした歴史年表を作ると、現在のような動植物が現れたのが現在より約5km手前、人類の祖先が現れたのが約50m手前となる。5cm手前で人類の文明が誕生し、さらにわずか2.5ミリメートル手前で起こした産業革命によって、地球の自然環境は大きく変えられる事になった。人間の幸福・人類の平和と自然が両立できるのか。生物界の一新参者には答えられない問いなのかも知れない。